芥川龍之介の『舞踏会』をご紹介します。初出は1920年(大正9年)の雑誌『新潮』1月号上となります。鹿鳴館を舞台にした、小さな恋のお話で、淡く切なく、そしてちょっと儚い物語です。
非常に評価の高い作品で、中期の芥川龍之介における傑作のひとつとして数えられております。二部に分かれた作品になっており、昔話を振り替えるような構成になっています。
『舞踏会』のあらすじ
明治19年11月3日のこと。主人公は当時17歳の明子さんです。ドレスアップした明子さんはお父さんと一緒に、鹿鳴館の階段をちょっと不安な心地で昇っておりました。というのも、この日は彼女の社交界デビューの日。フランス語と舞踏をやってるお嬢様のようですが、正式な舞踏会に来るのが彼女にとって生まれて初めてのことでした。
舞踏会に始めてきた、美しく初々しい少女、明子さん
そんな明子さんも、鹿鳴館の階段を登ったところで自信をちょっと得ることになります。すれ違うおっさんお兄さん連中が、彼女のことをちらりと一瞥し、呆けたような様子を一瞬見せるのです。事実、バラ色のドレスに水色のリボンをつけ、頭に薔薇の花をつけた彼女はとても美しかったわけですね。それで、「私、いけるやん!」となって自信を取り戻すのです。まあ、17歳なのに女性って恐ろしいものですね。
男はともかく、社交界における女性に認められることも大事ですね。むしろ、そっちの方が大変そう。ところがお父さんに紹介された、今夜の舞踏会の主役である伯爵の婦人もまた彼女の美しさに驚嘆の色を一瞬浮かべるのでした。むしろ、明子さんの方はその人のよさそうな、そして権威主義な感じのその伯爵夫人の表情の中に下品さを見つけるくらいの余裕があったのでした。
部屋には同じような年ごろの女の子がたくさんいて、お父さんと別れて明子さんもその輪の中に入っていきます。彼女らは明子さんを見て口々に美しいとほめたたえました。
フランス人海軍将校との出会い
と、そこに1人のフランス人海軍将校が歩み寄り、会釈をしました。明子さんは一気に緊張します。その会釈こそはすなわちShall we dance?とダンスのお誘いであるのです。
背の高い将校に導かれ、ダンスをはじめます。将校は彼女の身振り手振り一つひとつ、その日本の美をまじまじと見つめるのでした。
やがて踊り疲れた二人はダンスホールを離れ、階下の広い部屋へと降りました。彼女は、そのフランス人将校の視線が自分に注がれていることを知っていました。それで、近くにドイツ人がいたものですから、「西洋の方はおきれいですね」なんていうのです。
「いや、日本の方もきれいですよ、特にあなたなんて……パリの舞踏会にだって出られますよ。アントワーヌ・ヴァトー(作中、ワットオと表記)の絵の御姫様のようです」と言います。ところが、彼女はヴァトーを知らなくてあまり伝わらなかったのですが。
フランス人将校が呟いた、我々の生のような花火のこと
それから二人はテラスに出ます。花火が煌めく夜でした。「お国のことを考えているのですか?」そう問うと、将校は答えます。
「私は花火の事を考へてゐたのです。我々の生(ヴィ)のやうな花火の事を。」
フランス人海軍将校の正体とは
それから時は流れて、大正7年の秋。たまたまおそらく芥川自身であろう小説家は面識のあった老婦人と汽車の中で再会し、上述のような思い出話を聞かされていたのです。
「そのフランスの海軍将校のお名前は?」
「知ってますよ、それは、Julien Viaudという方です」
「では、『お菊婦人』を書いたピエル・ロティだったのですね!」
「いいえ、ロティさんじゃないですよ。ジュリアン・ヴイオという方ですよ」
という会話で物語は幕を閉じます。
『舞踏会』の解説
ちょっと事前知識がないとオチがまったくわからない作品なのですが、ピエール・ロティというロマンス小説を書いてきた実在の小説家がいて、その本名はそう、ジュリアン・ヴィオ。本作は、ロティの『江戸の舞踏会』を下敷きに書かれた作品です。
つまり、明子さんはジュリアン・ヴィオがピエル・ロティであることを知らなかったわけですね。
わざわざ書き換えた物語の結末
さて、先述のとおり、『舞踏会』は雑誌『新潮』にて公開されたのですが、書籍として刊行される際に改編されました。最初は、明子さん自身が「あのピエール・ロティだったのよ」とネタバラシをする話だったのですが、芥川は書籍にする際、他人に言われて、なお知らん、というオチに変えたのです。
ここに本作に込めた芥川龍之介の思想のヒントがありそうです。なぜ変えたのか? という疑問がここにあるわけです。
改編されたことで際立つ、花火のような生(ヴィ)
どう取るかは人それぞれですが、フランス人将校が見た、一瞬の花火の光のような、生の煌めき。一瞬の美しさ、儚く消える美しさ。それを際立たせるためではないでしょうか。
この一瞬のきらめきを、明子さん自身もずっと抱いていた。世間にとって確かに彼はピエール・ロティではあったが、その一瞬を共に過ごした彼女にとっては彼はピエール・ロティではなく、一人のジュリアン・ヴィオという男性だった。その美しさを閉じ込めるべく、その男は時が経ても彼女の中においてはジュリアン・ヴィオであるべきだったのではないでしょうか。
反対にも解釈できるかもしれない『舞踏会』
ちょっと意地悪な視点ですが、その一方で、明子さんはアントワーヌ・ヴァトーのことも当時知らなかった。これはもしかすると、当時の文明人において当然の教養であったのかもしれませんが、彼女はそれを持ち合わせてはいなかった。しかし、彼女はその一瞬、ものすごく美しかった。
ところが、時が流れても、彼女は何も知らぬまま来てしまった。時は流れて老婦人になり、女性の一瞬の煌めくような美しさはもうそこにはない。その美しさのきらめきを際立たせたかった、かもしれません。まあ、「我々の生(ヴィ)のような美しさ」と海軍将校自身もそこに含まれてるでしょうから、さすがにそれは意地悪かな。でも、いろいろな視点で読むのはいいことですよね。
三島由紀夫も絶賛した名文
その辺のテーマはさておき、本作の最大の特徴は、美しい文章。三島由紀夫を始め、数々の評論家の間で、芥川龍之介中期の一つの到達点たる短編とされています。
たしかに、華やかなりし舞踏会の夜が確かに煌めくように感じられるほどの絢爛たる様子が目に浮かぶ名文で描かれております。この文章表現を読むだけでも一読の価値ありではないでしょうか。
[…] 『舞踏会』 […]