森鴎外

考えてみればなぜだかわからないが、国語の教科書的には夏目漱石と双璧をなす、近代文学の大物。本名森林太郎。1862年2月17日、島根県生まれ。生まれた時、日本はまだ幕末である。医師であり、小説家。なお、森家は代々医師の家。

スーパーエリート森鴎外

医者の家らしく、ものすごい英才教育を受ける。五歳で論語を読み、六歳で申しを学び、八歳でオランダ語を学び始める。十歳で島根から上京し、哲学者西周(にしあまね)の家に一時期住み、ドイツ語を勉強。ちなみに、西周は後に森鴎外の媒酌人を務めている。

そして、二歳サバを読んで、十二歳で第一大学区医学校予科に入学。これは現東京大学医学部。どんだけ秀才なんだ、森鴎外……。

十九歳で医学部卒業。陸軍軍医副となり、ここから軍医の道が始まる。出世の勢いは止まらず、最終的に森鴎外は、軍医総監、医務局長、医学博士、文学博士、帝室博物館総長兼図書頭、高等官一等、正三位勲一等、と輝かしき肩書を持つことになる。なお、一時、文筆活動に励み過ぎて小倉に左遷されている。

そういえば、脚気の原因を見誤り、大きな被害を出したというエリートゆえの負の遺産も残している。

恋人エリスの存在

二十二歳でドイツ留学。北里柴三郎とともに行動したり、コッホの衛生試験所に入ったりと、エリート街道をひた走る。二十六で帰国。このとき、恋人のエリスが森鴎外を追って来日するものの、直接森鴎外自身がエリスに会うことはなく、妹婿の小金井良精と弟篤次郎が説得しエリスはドイツに戻ることに。エリスかわいそう。もちろん、このエピソードこそが後の鴎外二十八の時に発表した『舞姫』である。

二十七の時、『医学の説より出でたる小説論』を読売新聞に発表。作家としての活動をスタート。同年、登志子と結婚。が、結婚生活はわずか一年、長男於菟(おと)が誕生後すぐに離婚している。もしかして、森鴎外ってちょっと変わった人だったのかしら。於菟は確かドイツの名オットーをもとにしている。

森鴎外の代表作

『舞姫』 1890年 国民之友に発表
『ヰタ・セクスアリス』 1909年 スバルに発表
『青年』 1913年籾山書店刊
『阿部一族』 1913年、中央公論に発表
山椒大夫』 1915年、中央公論に発表
高瀬舟』1916年、中央公論に発表
最も有名なのは、『舞姫』、『高瀬舟』あたりかと思うが、こうして並べてみると『舞姫』は最初期で『高瀬舟』は晩年の作品である。『舞姫』から『高瀬舟』までは約30年空いており、さらにはこの30年の間に日露戦争がはじまり終わり、さらに第一次世界大戦がはじまり終わっている。さすがに、文体も価値観も何もかも違う。

なお、日露戦争から数年間はほぼ小説を書いていなかったらしい。一方、もう一人の大文豪夏目漱石はこの間に『吾輩は猫である』から始まり、『坊ちゃん』、『草枕』、『虞美人草』、『三四郎』と次々作品を残している。作品を鴎外が再度書くようになったのは、それに触発されたとか。

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