梶井基次郎について

『泥濘』のあらすじ、感想、解説とかとか。

投稿日:2019年12月15日 更新日:

『泥濘』は、1925年6月に発表された梶井基次郎の小説です。お金もなく、上手く小説も書けない不安な心持が描かれています。『泥濘』の読み方は”でいねい”、ですね。ぬかるみ、という意味です。

『泥濘』のあらすじ

『泥濘』は、三つの章に分かれた短編小説です。まあ、家から送られてきた仕送りを受け取って家に戻るまでの間の心境を描いたお話ですね。

ある日、実家から為替が届いたので、雪解けの街を億劫ではあるものの、取りに行きます。主人公は一生懸命根を詰めて書いていた小説が失敗作に終わり、生活にまで悪影響を及ぼしていました。それで一週間ほどは書くこともできなくなって、書こうとしても書こうとしたときの気持ちがすぐに思い出せないような状態でした。書かないとぼんやりしてしまっていて、何をやっても中途半端な感じが続いていました。

その時分は火事が多く、ぼんやりしていたものだから、近くで火事が起こるたびに自分が注意もせず煙草を投げ捨てからではないかという心地になる。そうして、どんどん惨めな気持ちになってくる。

そうした時は、ぼんやり鏡やバラの描いてある陶器の水差しに見入っていた。風に吹かれる草木のような心地になり、水差しをじっと見つめ、夜中の二時になっても三時になっても眠らなかった。

そんな心地であったが、待ちに待っていた為替が来たので、雪の積もった道を歩き、電車の駅へと向かっていた。

雪で滑る人を何人も見た。そうして、銀行に着いた頃には自分もだいぶ不機嫌だった。係の人の対応は悪くて、クレームを出して何とかな金を受け取った。それから散髪屋に行き、髪を切った。ところがその散髪屋の釜が壊れていて、洗った後の頭を何度も濡れたタオルで拭われた。それでも泡は全部は取れなかった。その足で友人の下宿に行って、石鹸を洗い流して雑談した。

話していると、友人の顔がどうも遠く感じられる。また、どうも話している勘所が合わない。友人と話している気がしない。自分はどこかおかしいか?と聞いてみたい気さえする。帰り際には、引っ込んでいるのはいけないよ、たまには外に出た方がいい、と言われ、何だか苦役を果たした後のような心地になった。

帰り道には古本屋へ行き、郵便局に行った。郵便局で家に金の礼を書き、友人にはしばらく会っていないわびの手紙を書いた。古本屋では妙なケチ心に目覚めつつも、なにも買わずにはいられないと古雑誌を買おうとしたが、少し目を離すとその雑誌は跡形もなくなくなっていた。御茶ノ水で定期を買い、それからビールを飲んだ。

何だか自分の心にちぐはぐしたところを感じながら、石鹸を買う。しかし、石鹸を自分が買いたかったのかさえ定かではない。「ゆめうつつで遣ってるからじゃ」と母に失敗した時によく言われていたのを思い出す。

三年ほど前、ひどく酔ったことがあって、母の言葉を思い出すと暗然たる心地になった。友人にはその母の声色をまねてその言葉を浴びせかけられた。そんな調子で、主人公は自分自身に「奎吉……奎吉!」と語りかけます。眼前に浮かぶ母の姿に、彼は責められ励まされました。

ところがそのうち、母の顔は違うものに変わっていきました。それは、不吉を司る者、そういうものに思えてきたのです。

とぼとぼ月夜の道を歩き、街灯の光に伸びたり縮んだりする影を見つめていました。そのうち、一つの影だけがじっと長く続いているのを見つけました。それは、月に照らされた己の影でした。その影だけが親しいものに思えました。

大通りを外れて街灯の少ない道に行くと、積もった雪が月の光に照らされて美しく見えました。影が親しいものに思えたのは何故なのだろうと考えていると、今度は次第に影の中に生き物らしい気配を覚え始める。影と思えていたのは、どうやら生々しい自分自身でした。鏡のような透明な地面に写る自分を自分は見つめている。あれはどこへ歩ていくのだろう。

自分はしみじみした自分に帰っていき、自分の下宿の方へ暗い道を入っていくのでした。

『泥濘』の解説、感想

書けない憂鬱な心持を書いて小説にした作品ですね。月に写る影、それが己のようである、という辺りが結構文学チックですね。

一章において、鏡の話が出てきます。

自分の顔がまるで知らない人の顔のように見えてきたり、目が疲れてくる故か、じーっと見ているうちに醜悪な伎楽の腫れ面という面そっくりに見えてきたりする。

鏡を見ていると、自分自身でないような、恐ろしいものに見えてくるわけです。そして、三章で現れてくるのは、玻璃を張ったかのような透明な地面に写る、自分の月の影は影ではなく、生々しき自分自身であるわけです。

「あれは何処へ歩いてゆくのだろう」

すなわち、ずっと鏡の中の自分にとらわれているような、自分でないような不安な心地を最初から最後までこの主人公は抱えているわけですね。そのぬかるみにとらわれたままの陰鬱な、静かな絶望のようなものが綴られている作品です。

このころ、梶井基次郎は病に侵されており、この月の影にもう一人の自分、ドッペルゲンガーを見るという観念的発見は、後に書かれる『Kの昇天』にも表れています。『Kの昇天』に至るまでの思索、のような作品として位置づけられるのではないでしょうか。

小説家の苦悩のようなものを知るには良い一作かと思います。ぜひご一読ください。







-梶井基次郎について

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  1. […] なお、この前年、1925年、大正13年に梶井基次郎自身が書いた『泥濘』で見いだされた月の光によってできる影が実体のように見える、という着想を膨らませて、この『Kの昇天』は書かれておりますので、そちらもご一読ください。 […]

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