ニコライ・ゴーゴリ

『外套』のあらすじ、感想・解釈などなど。

投稿日:2019年11月6日 更新日:

ゴーゴリ 鼻/外套/査察官

近代文学というのは、ニコライ・ゴーゴリの『外套』から始まったとされるほど、文学、文芸、小説において非常に重要な意義を持つ作品です。1842年の小説ですね。二百年近く前なんですねえ。割と今でも読める内容です。人間の悲哀というのは時が経てもそれほど変わらないものなのですね。

時期的に、この作品の後に書かれたドストエフスキーの『貧しき人びと』なんかも色濃くその影響を受けており、ドストエフスキー自身、ロシアの文学は皆ゴーゴリの外套から転がり出てきたと言ったとかどうとか。(実際は言ってないみたいですが職業が書記係だったり、『外套』の主人公もまさしく「貧しき人びと」であったりと、共通点は多数見られますので影響は間違いなく受けているかと思われます)

それまでの文学文芸となにが違うかというと、ここには宗教的神話もなく、童話のようなファンタジー性もなく、舞台のような奇想天外な物語もなく(あっ、『外套』は割と奇想天外かもしれない)、ただ人間の心をその主人公の日常において描いた点が過去にあったものと違うのですね。ここには、写実的ヒューマニズムがあるといえます。

なお、外套の意味は、もちろん上着、コートのことです、はい。

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ゴーゴリ『外套』のあらすじ

アカーキイ・アカーキエウィッチという名の小役人がおりまして、彼が主人公なんですが、真面目で平凡な慎ましやかな生活を送る、筆者曰く”額の禿げあがったちんちくりんな”小市民です。役所で文書係をしており、頼まれた手紙をきれいに書く仕事なんですが(これ、『貧しき人びと』と同じ仕事ですね)、まあ真面目が取り柄なだけの何のヒーロー性もない男なのでした。

そんな彼はもちろん衣服になど何の関心も持たない男で、彼の身につけてるコート、まさしくこれが「外套」なんですが、つぎはぎだらけの代物なのでした。もはや外套でなく半纏と呼ばれていたのです。ペトロ―ヴィチという馴染の仕立て屋に毎度頼んでいたのですが、ついにもうつぎはぎもできないような布地になっており、これは針も通せないよと断られてしまいます。

それで、ついにつぎはぎ外套おじさんだった彼は、ついに観念して外套を新調することを考えるようになりました。その額80ルーブル。高いのか安いのかわかりませんが、それは彼にとってはとんでもない金額だったのですが、ちょっとずつ貯金を始めるようになります。そうすると、人生に目標ができたからか、何かしら生活が充実してきたような心地にもなってくる。そうして、局長が思ったよりも多くの賞与を出してくれたり、長年の貯金を引っ張り出したりして、新しい外套に必要な費用を何とかねん出し、何と世にも立派なピカピカのコートを着ることができたのです。

これには役所の仲間たちもびっくりで、まさかのお祝いパーティーまで開かれることに。最初は照れてたアカーキイはとても幸せなのでした。そうするとなんだか夢が溢れるような心地がしてくる。

しかし運命とは残酷なもので、その晩、その外套を追い剥ぎに奪われてしまうのですね。そして、何とかせねばとアカーキイは役所仕事を休んで警察署長に会いに行きますが、そんな夜中に歩いている方が悪いと言わんばかりの対応で追い返されてしまいます。その翌日はあまりに痛ましいことに、前の外套を着て役所に行くことに。仲間たちはまた驚き、今度は義援金を集めよう!となりました。

ところが、その義援金はホントにごくわずかしか集まりませんでした。何てかわいそうな。そもそも彼らも上司への寄付やら何にやらでそんなに恵まれてはいなかったのです。

同量に教わった最後の手段として、”有力者”のところにアカーキイは相談をしに行きます。しかしこの有権者というのが最悪なやつで、威張り散らして尊大な態度を取るだけが取り柄のような、何にも出来ない男だったのです。アカーキイはただただパワハラまがいの言葉を投げつけられて、呆然とし、家へと戻りました。そして、その後ロシアの冬の寒さにやられて風邪を引き、寝込み、なんとそのままアカーキイは命を落としてしまうのでした。

ところが物語はここで終わることなく、死んでしまったアカーキイは幽霊となって街中に化けて現われます。誰のものであろうとどんなものであろうと、この幽霊は夜な夜な外套を奪い去るのです。

このアカーキイの霊は件の”有力者”の元にもついに現れました。そして、その外套を奪い去ってしまうと、それきりその霊は現れなくなってしまったのでした。

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ゴーゴリ『外套』の感想・解釈

喜劇的にも読めるほどもったいぶった文体だったり、小説ではよく登場人物の性格とかいちいち書かれるものだから一応書いとくけど、みたいなメタ視点もガンガン登場するちょっと変わったテイストで書かれた話ですが、新しい外套を手にしたのちに、あれほど大切というかこれを着続けようとしていた前の外套をアカーキイ自身見ると、あまりにみすぼらしくて笑みがこぼれる、といった表現のくだりはなかなか人間の残酷さを垣間見させるというか、作家としての冷たくもするどい視点を感じさせますね。

(ちなみに、本作の導入部分に恐ろしいほど影響を受けているのが、芥川龍之介『芋粥』です。主人公の設定、ほぼ一緒なんですね)

さて、アカーキイ・アカーキエウィッチという名は、日本語だと“山田太郎の太郎”みたいな、つまりは父親の名を名付けられています。また、見栄えは典型的なペテルブルクの役人。仕事は来た書類を正しくその通りに美しく書き直すだけの書記係で少しでも変更点改善点を任されるとちっとも書けなくなる、などなど、人のようで人でないというか、借り物の姿というか、アカーキイという自我がないというか、彼自身を獲得していないような状態にも読めます。つまり、彼は実は新調した外套を奪われるその瞬間まで、何者でもなかったというか一切の主体性を持たぬ人間であったのではないでしょうか。

外套は、クソ寒いロシアの気候を生きる人々にとっては欠かせぬ必需品。この自分自身の身を守る、大切にしていた外套を奪われることでようやく彼は初めて人間性を獲得し、感情をあらわにします。しまいには、死んでも死に切れぬと幽霊にまでなって外套を奪いだすんですけども。

階級制度の中に押し込められていた人間性が、人の非情なる仕打ち、冷たさ寒さに自我を獲得し、世の中への恨みつらみを含みつつそれを一気に確立させる。そこには、反体制的な意思が込められているのかもしれませんし、体制の中に組み入れられた人間へのアンチテーゼも込められているのかもしれません。

あと、物語の最後に触れられる「背の高い口髭を生やした紳士」の幽霊がアカーキイ自身なのかそうなのか、それそもこれが人なのか幽霊なのか、というのは読む人によって分かれてくるところかと思います。おそらくは姿かたちも違いますので、きっとこれはアカーキイではないと私は読んだのですが、つまりは、この外套を盗むような幽霊ないし人というのは当時のロシアの至る所に存在していたのではないかと。もしかすると、アカーキイの外套を盗んだ強盗も幽霊だったのかもしれません。

当時のロシアの寒い寒い、そして何の役にも立たない権力のはびこるペテルブルグでは負の連鎖が繰り返されており、アカーキイのみならず皆が貧しい生活をしながらも自分の身を守る外套を探し求め、奪い合い、自我を奪われながら暮らしていたのではないでしょうか。

貧しさというテーマはどこの国であろうと、時代がどれだけ立とうとも不変のテーマですね。もしかしたら、今の日本でもそれほど変わらぬような外套の奪い合いがあるかもしれませんね。二百年の時を経て、今なお名作と名高いゴーゴリの『外套』をぜひご一読くださいませ。

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-ニコライ・ゴーゴリ

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  1. […] ロシア近代文学というのはゴーゴリの『外套』からいずれも出てきたと評されておりますが、本作『貧しき人びと』も貧富と役人の悲しさをテーマに据えたいかにも写実的なヒューマニズムが描かれており、その『外套』の影響をありありと受けております。 […]

  2. […] ちなみに、『芋粥』の主人公の冒頭の書き出しの設定は、ゴーゴリの『外套』とものすごい類似しております。比較して読むと結構面白いかもしれません。 […]

  3. […] (ちなみに、芥川龍之介の『芋粥』とゴーゴリの『外套』と冒頭の設定ほぼ丸パクリなので、芥川の『鼻』も絶対にゴーゴリの『鼻』に影響を受けています。) […]

  4. […] ロシア近代文学というのはゴーゴリの『外套』からいずれも出てきたと評されておりますが、本作『貧しき人びと』も貧富と役人の悲しさをテーマに据えたいかにも写実的なヒューマニズムが描かれており、その『外套』の影響をありありと受けております。 […]

  5. […] ちなみに、芥川龍之介の王朝物は、前述しました通り『今昔物語集』の内容を膨らませて書いたと言われておりますが、本作『芋粥』の主人公の冒頭の書き出しの設定は、ゴーゴリの『外套』とものすごい類似しております。比較して読むと結構面白いかもしれません。ロシア文学からも相当の影響を受けているんですよね、実は。 […]

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