『戯作三昧』は、全十五章から成る芥川龍之介の短編小説です。大正6年(1917年)に大阪毎日新聞紙上にて発表された小説で、『南総里見八犬伝』などの戯作を書く曲亭馬琴(滝沢馬琴)が主人公の作品です。
曲亭馬琴の晩年の姿に芸術至上主義者であった芥川自身の姿が投影されているかのようで、彼が戯作にのめり込んでいく戯作三昧な男の心境に触れることができる一作です。
『戯作三昧』のあらすじ
天保2年9月のある午前中、神田の銭湯でのこと。風呂に入る馬琴は、そのころすでに老人で、死ぬことさえも割と近しく感じているような老人でした。生活に疲れ、そして彼は創作に疲れていたのです。
そんな折に彼の愛読者である近江屋平吉に話しかけられます。出るわ出るわ、お世辞の数々。彼はあんまりそういう声は相手にせぬのですが、今度は句は書けるのかと聞いてきます。戯作を主とする馬琴にとって句は短すぎるため、芸術表現の器としては小さすぎると考えていました。
まあ、今度の句会くらいは出るけどねと相手をいなしまた風呂に入っていると、今度は悪口が聞こえて来る。馬琴のは筆先の小手先で、式亭三馬や十返舎一九のような人間性から書かれたものには到底かなわない……。
風呂を上がって、そのような好評悪評に心乱されることに苦笑しつつ、馬琴は古今類を見ない八犬伝を完成させようと心に誓うのでした。
家に戻ると、本屋の和泉屋市兵衛が来ておりました。いけ好かない、いわゆる編集者なのですが、彼はおもむろに世間を騒がす鼠小僧の話をします。先生、これで一冊書いてくれないかというわけですね。よその作家ならさっと書ける、艶物だって書く、そんな風に馬琴のプライドを逆立てたり、なだめすかして、書かせようとしてくるのですが、馬琴はちょっと腹を立てて、彼を追い返しました。
縁側の柱で馬琴は物思いにふけります。かつて弟子入りしたいと手紙をよこした青年に丁重なる断りの手紙を返送すると、罵詈雑言の手紙がやってきた。下等な者、世俗なものと関わりたくないと言えど、関わり合い、そのたび自身の下等さも思い知らされる。
それから一人寂しく飯を食い終わると、画家の崋山渡辺登が遊びに来ます。同じく芸術を愛する同士と話をしつつ、文章を改ざんするお上の愚痴など言いながら、馬琴は行くところまで行くしかない、八犬伝と討ち死にの覚悟をするつもりだと腹を決めました。
渡辺が帰ったのち、馬琴は再び『八犬伝』に向き合います。新たな心持でこれまで書いてきた文章を読み直していくと、これは書き直さなければならないと思えてくる。どうも心持が悪いのか、どれだけさかのぼってもどれ一つとしてうまく書けている気がしない。世界に名を残す名作を書こうと思って書いてきたが、自分もまた世間のただのうぬぼれ屋の一人に過ぎないような気がしてくる。
そこへ、孫の太郎が帰ってきて、馬琴の膝の上に飛び乗ります。そして彼は言います。「おじいさん、よく毎日勉強しなさい。癇癪も起こしてはいけません。もっともっとおじいさんは偉くなるから、辛抱しなさい。」と。そんなこと誰に言われたんだい?と馬琴が問います。大方お寺のお坊さんにでも言われたのだろうと思ったのですが、太郎は「浅草の観音様に言われたの」と言います。「そうかそうか、観音様がそう言ったか。勉強しろ。癇癪を起すな。そうしてもっとよく辛抱しろ。」
その夜、馬琴は再び芸術家としての集中力を取りもどし、芸術の喜びを感じながら、一文字ずつ筆を運ぶのでした。焦るな、できるだけ深く考えろ。書き続けろ、今書いているものは、今この瞬間にしか書けないものかもしれないぞ……。利害でもなく、愛憎でもなく、ただただ恍惚たる喜びがそこにあるのでした。
家族に、大したお金になるものでもないのにねえ、なんて言われながら。
『戯作三昧』の解説、感想
芸術至上主義者である芥川龍之介自身の心情が投影されたかのような一作ですね。世間のおべっか、また悪評などなどに対する自身の心の反応の自己批評は深く、ここまで自分の心情を描き表せるのが、芥川龍之介らしい部分ですね。好意を感じつつ、軽蔑も覚える。否定されれば、不快ではある。しかし、そうした心情とは裏腹に、芸術を追求していたい。しかし、実のところ自分の心は多少揺れ動いている。世間の中に自分という存在も確かにいて、世俗的な自分もいる。
その中で芸術的な美しさを追い求めることは難しい。芥川には当時もちろん、孫はおりませんでしたが作中の孫のような、世間の様々な事象に揺れ動かされる、小説をなぜ書いているのか?という問いが常々あり、そして、何か心洗われるような一瞬があったのでしょうね。
きっと結構偏屈な老人と思われていたであろう滝沢馬琴とこの孫との交流のワンシーンは、理屈ではなく非常に美しい光景です。芸術というのは、壮大で偉大なものですから、世間の事象でなく、観音というとんでもなく壮大で偉大なる存在をさせたのでしょね。
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