ニコライ・ゴーゴリ

ゴーゴリ『鼻』のあらすじ、感想、解釈、解説などなど。

投稿日:2019年11月10日 更新日:

ゴーゴリ 鼻

ニコライ・ゴーゴリの『鼻』は、1833年から1835年にかけて書かれ、1836年に発表された小説です。3年に渡り書かれた小説ですが、割と短い小説です。3年間、何に悩んで書いたのかが非常に気になるところです。というのは皮肉でも何でもなく、幻想的というかシュールというか、訳の分からぬ方向に話が進んでいき、不思議なオチのついた、ちょっとコントのようなお話なのですね。ゴーゴリ自身劇作家でもありましたから、もしかするとコントのようという表現は非常に正しかったりするかもしれません。

全三部からなる不思議な小説です。リアリズムとは程遠い作品で、ロシア近代文学は本当にゴーゴリから始まったんかいなと思いますが、どうやら近年はそういう評価をされていないようですね。それはさておき、大人向けのお伽噺のような小説ですよ。

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ゴーゴリ『鼻』のあらすじ

イワン・ヤーコウレヴィッチという理髪店の店主がおり、その店主が細君のプラスコーヴィヤ・オーシポヴナに朝ご飯にネギのたっぷりついたパンが食いたいなあ、と言います。そのパンをナイフで二つに切ってみますと、その中からまさか鼻が出てきた。まごうことなき、人間の鼻なのです。

イワンには、それが毎週水曜と日曜とに顔そりをしているお客である八等官のコワリョーフ氏の鼻であることを悟りました。しかし、一体全体どうしてコワリョーフ氏の鼻がパンに入っているのだか皆目見当もつかない。とっととこれを布に包んで、どっかに処分しようと考えます。

どっかに押し込んで捨ててやろうとしましたが、往来に出れば声を掛けられ、それどころではない。まして一度は落っことして大騒動になるところでした。そんなこんなでとある橋の上に来て、伸びをひとつしているふりをして包みごと鼻を川へと捨てることがようやくできました。

ホッとしたのもつかの間、それを目ざとく巡査が見ておりまして、今お前橋の上で何をしていたんだと厳しく問い詰められます。

……と、話は二部となりまして、今度の主人公は、その当の鼻をなくした本人、コワリョーフ氏となります。彼はある日目覚めると、鼻がなくなっていたと。しばらくはそんなはずはないと、何度も鏡やら何やらで確認するのですが、やはり鼻がない。鼻があったところは茶色のきれいなパンケーキを焼いた痕みたいになっているのでした。

すると、とある家の前に馬車が止まります。その馬車に乗り込むのは、まさしくなくした自分の鼻ではありませんか。鼻が燕尾服を着て歩いているのです。鼻は立派ななりをし、しかも自分よりも身分の高い五等官ときています。身分の上下に敏感なコワリョーフ氏は、うやうやしくも「もし、貴方……」と自分の鼻に声を掛けます。

鼻の方は冷たい態度で何のことだと。私があなたの鼻だと?何のことだと。そうして鼻は行ってしまいます。

コワリョーフ氏はあの詐欺師の鼻野郎を何とかせねばと警察署に行くことを一時考えますが、やっぱり新聞社に行くことにしました。尋ね人ならぬ訪ね鼻の新聞広告を出そうとしたのですね。

しかし、広告屋はまともに取り合ってはくれません。鼻の探し物の広告など、新聞社の権威が落ちるから止めてくれと。むしろ、鼻がなければそれで寄稿文でも書いた方がよほどあなたの利益になる。そう言って、広告担当の人は嗅ぎ煙草を彼の鼻先へとやるのでした。鼻先はないんですが。

それに怒ったコワリョーフ氏は家に戻り、ブチ切れた頭で考えました。顔そりのイワン・ヤーコウレヴィッチのことも考えましたが、朝目覚めるまでは鼻は確かにあった。そう思うと、そうだ、自分に娘をあてがおうとする佐官夫人ポドトチナ氏が変な魔法でも使ってこんなことをしたんだと考えるようになります。

その時です。警察が家にやってきました。曰く、鼻がみつかりましたよと。確かに巡査が差し出した手に、紙にくるまれた鼻があるのです。

ところが今度はその鼻がくっつかない。医者を呼んでも、つけると余計ひどいことになるから、ない方がいいと言われる始末。いっそ、この鼻を売ってほしい、などと言い出します。コワリョーフはその後、ポドトチナに手紙を出して伺ってみますが、どうも彼女が何をした様子もない。事件はついに藪の中へと放り込まれてしまいます。そして、歩き回る鼻の噂は町中を駆け巡り、鼻が見られるぞと噂が立てば、そこに人だかりができるという様子となりました。

そして三部。ある日突然、コワリョーフの顔に鼻が戻るのです。これを書いた作者(おそらくはゴーゴリと思って良いと思いますが)こうした出来事は世の中にはたまに起こるよね、と書いて締めくくられます。

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ゴーゴリ『鼻』の感想・解説・解釈

この『鼻』は、シュールレアリズムなどという名前が出るよりもっと前の作品なのですね。ゴーゴリはなかなか前衛的な存在だったようですね。鼻が変なことになってまた元に戻る、という構図は芥川龍之介の『鼻』ともちょっと相通ずるものがあります。芥川の『鼻』よりまだ前の『鼻』ですね。相当進んだ鼻です。

(ちなみに、芥川龍之介の『芋粥』ゴーゴリの『外套』と冒頭の設定ほぼ丸パクリなので、芥川の『鼻』も絶対にゴーゴリの『鼻』に影響を受けています。)

本作は絶望感も何もない、喜劇のような文体で綴られています。前述の芥川の『鼻』やフランツ・カフカの『変身』のような、そこに映し出される人間の絶望とか他者の憐れみとか何かそういうものもありません。非常にあっさりしています。

しかし一体、パンの中に入り、川に捨てられ、街を歩き回り、そしてある日突然元通りになる”鼻”とはいったい何なのか。いったい何なのかと詮索を始めたくらいでゴーゴリに馬鹿にされそうな気もしますが。

鼻ですから、もしかして役人のプライドでしょうか? 一般庶民にはもらっても困るようなもの。役人にとってはなくなるととんでもなく困るもの。そして、鼻そのものが町中を闊歩しているような、当時の体制。手を失うより、足を失うより、何よりも目立つ、鼻を失うことの辛さ。そして、他人からすればどうでもいいもの。でも、鼻が歩いているという噂に人々は大騒ぎになるわけですから、正解はそう単純ではないかもしれません。

そんな鼻もある日突然、何の前触れもなく彼の元に戻るのです。何をしたわけでも、何かに懺悔したわけでもなく。そして、そんなことがたまには起こる。そんなことより、彼は何でそんなバカげた広告を打つことなんて出来やしないことに気づかなかったんだろうね?と作者は言います。何にしても、こんなことを書いたところで国家の利益になんてなりやしない、と書いています。

もしかすると、本当に何の役にも立たない、何のためにもならないものを書くことで、その国家の利益になりやしない、という一言を際立たせたかったのかもしれませんね。『外套』と同様、やはりゴーゴリの書くものはどこか反体制というか、社会批判、政治風刺のようなものが込められているように不思議と思えます。

ともあれ一度ご一読ください。また、時々でいいですから、あなたの鼻は今ちゃんとついてるかご確認くださいませ。たまになくなって、街中を闊歩するなんて不思議なことがごく稀ですがたまに起こるみたいですから。

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-ニコライ・ゴーゴリ

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  1. […] なお、本作『鼻』は冒頭書きました通り、『今昔物語』と『宇治拾遺物語』を原典としているのですが、タイトルも同じのゴーゴリ『鼻』にもものすごく影響を受けております。こっちの『鼻』も変な鼻に対する心理が描かれている一作ですのでこちらも読んでみましょう。 […]

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