芥川龍之介について

『鼻』のあらすじ、感想、解説などなど。

投稿日:2018年8月6日 更新日:

『鼻』は、芥川龍之介が初期に著した短編小説で1916年に発表されました。今から100年以上も前の作品なのですね。『今昔物語』の「池尾禅珍内供鼻語」および『宇治拾遺物語』の「鼻長き僧の事」を題材に取って執筆されました。

人の不幸を笑う人間の卑しさ。いや、果たして、本当に人間は人の不幸を笑うのか? 人間は他人の何を本当は笑っているのか?心の奥底にある、ちょっとした恐ろしさを垣間見れる作品です。短いながら、趣のある一作です。

なお、当時芥川龍之介は夏目漱石の木曜会に通っていたのですが、あんまり歯牙にもかけらなかったけれど、この『鼻』を読み、夏目漱石が絶賛したと言われています。 芥川龍之介においては出世作、ですね。

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芥川龍之介 『鼻』のあらすじ

禅智内供という僧の鼻は、それはそれはとても長くて、五、六寸ありまして、大体18cmくらいでしょうか、それがだらりと唇の下まで垂れ下がっていました。僧侶の身でもあるし、これを気にした様子はみじんも出さずにいたのですが、本心はとても気に病んでいる。鼻が気になるというか、鼻を気にしていることを知られることが、とても嫌なのでした。

鼻は確かに長く、邪魔である。飯を食う時は弟子が木の板でそれを持ち上げている。くしゃみをされて、熱々のかゆの中に鼻を落とされたこともあった。しかし嫌なのは、そういうことではない。あの鼻だから、出家したのだ、だとか、あの鼻だから結婚できなかったのだ、とかそういうことを言われるのが禅智内供は嫌だった。鼻によって、そういうことを詮索されるというか、勝手に話を結び付けられるのが、どうも自尊心が傷つけられる。

そんなわけで、禅智内供は鼻について考えた。一つは、鼻を短く見せる方法である。角度によっては、もしかして短く見えるのではないかしらんと実施してみる。しかし、余計長く見えるような気もしてくる。ならばと、文献にあたって鼻の長かった人物を探してみるが、それもいない。烏瓜を煎じて飲んだこともある。鼠の尿をこすりつけたこともある。しかし、鼻は依然としてぶら下がったままである。

そうこうしている、ある秋の日、弟子が鼻を短くする術を聞いてきたという。最初禅智内供は、何の気にもしてないそぶりを見せていたが、内心はもうそれを試したくてたまらない。しかしながら、それを弟子に聞くのはどうもはばかられる。自尊心を痛めつけられるからですね。そんなわけで、弟子の方から言い出す形にして、鼻を短くすることになった。

これがまったく原始的で、まずゆでる。それから、踏みつける。そうして出てくる粟粒のようなものを毛抜きで抜く。そしたら最後にもう一度茹でる。

これがなんと、確かに短くなった。目立つ鷲鼻くらいになって、上唇の上で、鼻はすっかり収まっている。しばらく数日はいつ戻るかとヒヤヒヤしていたが、これが戻らない。もうこれで誰も私を笑いはしないだろうと禅智内供は思った。

しかしである。この短くなった鼻を余計に皆じろじろと見るようになった。また、前にはなかったことだが、クスクス笑うようになった。これが禅智内供にはわからない。そうして、いらいらし始める。次第に、鼻が短くなったことが恨めしく思えてくる。

そしてとある晩、禅智内供は鼻がむずむずしているのを感じた。どうにもむずがゆく、鼻が熱を帯びている。

朝目覚めると懐かしい感覚が戻ってきていた。あごの下まで、鼻がぶら下がっているのだった。禅智内供は晴れ晴れした気持ちとなり、

こうなれば、もう誰も哂うものはないにちがいない。

と一人心の中でつぶやいたのだった。

芥川龍之介『鼻』の感想、解説

作中、作者芥川龍之介自身が、なぜ短くなった鼻を笑うのかを書いていますが、

人間の心には互に矛盾した二つの感情がある。勿論、誰でも他人の不幸に同情しない者はない。所がその人がその不幸を、どうにかして切りぬける事が出来ると、今度はこっちで何となく物足りないような心もちがする。少し誇張して云えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気にさえなる。そうしていつの間にか、消極的ではあるが、ある敵意をその人に対して抱くような事になる。――内供が、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾の僧俗の態度に、この傍観者の利己主義をそれとなく感づいたからにほかならない。

他人の不幸は憐れむが、それを切り抜けると、もう一度不幸になれと心のどこかで思っている。どうして切り抜けたのだとちょっとだけ悪意を持つ。これが、”傍観者の利己主義”であると書いています。

人が他人という者にどのような感情を抱くのか。うわべだけではない、ちょっとした人間の卑しさ、浅ましさへのまなざしの深さ冷たさがここに描かれています。

先天的な人の不幸というのは、やはり人間というのは笑いにくいかもしれません。それを不幸だと感じていること、それを抜け出そうとしたときに、そこにおかしみを確かに感じてしまうかもしれませんね。

この、主人公が僧であるというのがなかなか気が利いている設定ですね。お坊さんなのに、そういうコンプレックスをものすごく感じていて、弟子に気を遣わせている、みたいなやり取りがいかにも人間らしい。ぜひあなたもご一読ください。

なお、本作『鼻』は冒頭書きました通り、『今昔物語』と『宇治拾遺物語』を原典としているのですが、タイトルも同じのゴーゴリ『鼻』にもものすごく影響を受けております。こっちの『鼻』も変な鼻に対する心理が描かれている一作ですのでこちらも読んでみましょう。







-芥川龍之介について

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  1. […] 『トロツコ』という作品で作者芥川龍之介が伝えたかったこと、主題は何なのか?『芋粥』や『鼻』などで芥川龍之介が描いたことと同様、自分の中のあこがれ、希望がかなった時、手にした時、それが自分をどこへ連れて行くか?ということを描いたのではないかと私は思います。 […]

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  5. […] この創刊号で芥川龍之介は『鼻』を上梓しまして、それが夏目漱石の目に留まり大絶賛されたのですね。 […]

  6. […] 芥川家で蓄えた教養、そしてさすが東大英文学科、ゴーゴリやドストエフスキーなどの海外文学、『今昔物語』や『宇治拾遺物語』をベースにして、そうした失恋等々から人間のエゴイズム、ちょっとした機微を読み取る才能をいかんなく発揮し、『羅生門』やら『鼻』やら『杜子春』やら何やら大量の古典ベースの名作を書きまくります。 […]

  7. […] 皆さんきっとご存知の通り、芥川龍之介は『鼻』だの『芋粥』だの、古典をベースにした傑作小説を多数著しています。そこには古典に題材をとりながらも少し視点をずらして、古典では描かれていなかった人の苦悩とかがあるのですが、まだそこまでは至っていない感じですね。 […]

  8. […] この『鼻』は、シュールレアリズムなどという名前が出るよりもっと前の作品なのですね。ゴーゴリはなかなか前衛的な存在だったようですね。鼻が変なことになってまた元に戻る、という構図は芥川龍之介の『鼻』ともちょっと相通ずるものがあります。芥川の『鼻』よりまだ前の『鼻』ですね。相当進んだ鼻です。 […]

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