『手巾』は芥川龍之介が著した小説です。『手巾』は「しゅきん」と読みまして、「しゅきん」とは「ハンカチ」のことです。
1916年の小説で、中央公論にて発表されました。主人公は『武士道』を表した新渡戸稲造をモチーフとした、東京帝国法科大学教授の長谷川謹造先生です。
芥川龍之介『手巾』のあらすじ
上述のとおり、主人公は長谷川謹造先生です。植民政策の研究をしており、そういう本も読むのですが、とにかく仕事に関係ある書物は一通り読む。大学教授あるのみならず、高校の校長も兼ねていて、戯曲好きの学生の評論を読むために、イプセンとかストリントベリなんかの戯曲家の作品や評論を読んでいました。
彼の妻はアメリカの女性で、留学中に出会いました。アメリカ人ではありますが、日本人と同じように日本と日本人を愛していました。だから、お家には岐阜提灯があったりします。
岐阜提灯を眺めながら、日本の文明を彼は想います。文明は物質的に50年の間で急激に進んだ。しかし、精神の方はそうでもない、むしろ堕落している。そんなことを考えていたら、小間使いが呼びに来ました。西山篤子という女性が来訪したのです。
覚えはないが、会わないわけにもいかんだろうと応接間に通したところ、丸髷の賢そうな40代の女性がそこにおりました。彼女は、教え子の西山憲一郎の母親でした。西山憲一郎はイプセンなどの評論を書く生徒で、春に大学院生になったのですが、腹膜炎を患っており、一度二度見舞いにも行ったことがありました。
西山憲一郎君はついに病気で亡くなり、昨日が初七日ということでした。それを伝えに彼女は長谷川先生のところへやってきたのでした。
奇妙なのは、彼女が悲しい様子を全く見せないこと。長谷川先生は昔ベルリンに留学していたころ、ウィリアム陛下が亡くなられた際に下宿先の子どもたちでさえ大泣きしたことを思い出しました。今の様子はそれとは全く逆なのです。
長谷川先生はその時うちわをぽろっと落としてしまいます。夫人のそばに落ちたそれを拾った時に、ふと西山篤子さんの膝に目をやりました。そこには彼女の手が乗っています。手にはハンカチが握られており、その手が激しく震え、ハンカチを引きちぎらんばかりに力が入っているのでした。しかし、彼女の顔には晴れ晴れとした豊かな微笑が浮かんだままのでした……。
その晩、その様をアメリカ人の奥さんに聞かせて話しました。彼女はそれは日本の女の武士道だと称賛しました。先生もそうだと思い、雑誌社から寄稿を求められていた「現代の青年に与ふる書」というテーマのテキストに、これを使おうと考えました。
それで、ふと先ほどまで読んでいた戯曲の本を開いたところ、こんな一節がありました。
私の若い時分、人はハイベルク夫人の、多分巴里から出たものらしい、手巾のことを話した。それは、顔は微笑してゐながら、手は手巾を二つに裂くと云ふ、二重の演技であつた、それを我等は今、臭味と名づける。
それから先生は、不快そうに頭を振って、吊り下げられた岐阜提灯の光をじっと眺め始めました。
芥川龍之介『手巾』の解説、感想
日本の女性の、子を亡くしそれでも気丈に振る舞い、しかし手が震えるほどの悲しみに暮れている様は、人の心を打つものがありますね。日本人というのはこの50年で堕落したと思われていましたが、そんなことはない、日本の美しさというものが子を亡くした母の悲しみに残っていたのです。
ということで、母の強さの映像があまりに鮮烈なため、西洋化、文明化していく時流の中で強く逞しく残る日本の美意識の美しさが映える一作なのではありますが、しかしながら、よくよく最後まで読んでいくと、その美しさはストリントベリの戯曲論の中に名前まで付けられて、ひとつの定形として記されている。人の心から出た行動でさえ、分析され尽くして、今感激した心持にある長谷川先生の手元に書物となって、文章化されている。
物語の序盤、こう書かれています。
現代に於ける思想家の急務として、この堕落を救済する途を講ずるのには、どうしたらいいのであらうか。先生は、これを日本固有の武士道による外はないと論断した。武士道なるものは、決して偏狭なる島国民の道徳を以て、目せらるべきものでない。却てその中には、欧米各国の基督教的精神と、一致すべきものさへある。この武士道によつて、現代日本の思潮に帰趣を知らしめる事が出来るならば、それは、独り日本の精神的文明に貢献する所があるばかりではない。延いては、欧米各国民と日本国民との相互の理解を容易にすると云ふ利益がある。或は国際間の平和も、これから促進されると云ふ事があるであらう。
固有の武士道は欧米各国のキリスト教精神と似ているところもある。武士道を突き詰めることが相互理解につながり、国際間の平和にさえつながるだろうと書かれているのですね。
ところが、日本人の行動、武士道が文章化されて定形化され、この美しさが「臭味」と名付けられていると知ると、何でしょうね、確かにここには「得体の知れない何物か」があり、心をかき乱すものがあります。
西洋においては確かに精神は進歩しているのかもしれません。しかし、精神における文明進歩が進めば進むほど、日本と欧米の相互理解は果たして本当にできるのか……。ということに先生は悩まされているのだと思います。
ハンカチを引き絞るように持つお母さんの悲しさがクローズアップされる一作かと思いますが、そういう風に読める作品ではないかと思います、ぜひご一読くださいませ。
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