『芋粥』の作者は、芥川龍之介です。1916年に発表された作品で、芥川龍之介の初期作品、王朝物として知られています。『今昔物語集』の一説を膨らませた作品となっています。
さて、そもそも芋粥とは何なのか。芋粥の読み方は、いもがゆ、ですね。この意味は、まさしく字の通り、芋のおかゆです。なんだか妙に貧乏くさい感じがしますが、作品舞台の平安時代においては、高級品でした。その味はたいそう美味いものとして描かれています。
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芥川龍之介『芋粥』のあらすじ
平安朝の大昔、摂政藤原基経に仕える五位という身分の、ブ男で、身なりもパッとしない、40過ぎの男がいました。
皆にいじられ、バカにされ、いやむしろ空気のような存在でいるかいないかわからないような扱いを受けており、しかしながら、それを嫌がるというかそういうことはせず、素知らぬ顔をして過ごしていました。そういうことを言い咎める勇気も五位にはなかったのです。
とは言え、彼自身傷ついていなかったわけではありません。そうした折には、「いけぬのう、お身たちは」とつぶやくのでした。その響きは何とも悲しく、同僚の青年侍なぞは、そこに人間の悲しさ、世間というものの下等さを感じたりもしたのでした。
しかし、そんな彼も、すべてに絶望し、漫然とただ生きながらえていたわけではありません。彼にも、生きる希望がありました。それこそが、芋粥です。
それは当時、凄まじく偉い人の会食時にだけ出された貴重品で、五位の侍の口に入るのは年に一度、それも余り物のほんの一口くらいなのでした。
「ああ、あの芋粥を、いつか腹一杯食ってみたい……」その願望だけが、五位の侍の生きる糧なのでした。それを誰かに口にしたことはありませんでした。また、自分自身だって、それが自分を生かす希望なのだと明確に意識していたわけではありません。しかし、確かにそれは五位にとって生きる希望なのでした。
ある年の正月、五位は芋粥を食うチャンスに恵まれます。偉い人のおもてなしの機会があったのですね。ところがその年は参加人数も多く、自分の分け前はほんのわずか。思わず、腹一杯これを飽きるまで食いたいなあと呟いてしまいました。
それを耳ざとく聞きつけたのは、権力者のひとり、藤原利仁でした。五位とは似つかぬ、大男で、身なりも豪奢な、身分も高い男でした。そんなに芋粥を食いたいのかと問われ、五位は反応に窮してしまいます。そんなに食いたいなら、この利仁が叶えてやろうかといいます。
困った五位は、かたじけない…と絞り出すように答えました。利仁は一笑いしたのち、ならばその夢、そのうち叶えてやろうというのでした。五位はこの話題が皆の耳目を集めていることに、何とも気恥ずかしくありました。だが、もちろん自分の希望が叶うことに、夢見心地になっているのもまた事実でした。
それから四、五日して、二人は馬に乗り出かけることになりました。五位は利仁にどこへ向かうか聞いてみますが、利仁はもっと先じゃとはっきりとは答えません。そうこうしているうちに、盗賊のよく出る地域まで来て、五位は不安になってきます。たった二人でこのような地域を抜けるのは危険すぎる。そのあたりまで来て、ようやく利仁は敦賀まで行くことを口にしました。とこkろが、京から敦賀は、とんでもなく遠い。不安で仕方ないものの、五位は利仁に頼ってついて行くほかないのでした。
利仁は途中出会った狐に、二人の男が行くから、高島まで迎えにくるよう言付けし、先へと進みます。果たして、確かに高島まで着いた頃に、二、三十人の従者が現れました。さすがは狐、敦賀の館にいた奥方に乗り移り、確かに言付けを伝えたのでした。
こうして翌朝より、五位が念願していた大量の芋粥が利仁の命によって用意されることとなりました。五位は夢か現かわからぬ状態で、もう夜も眠れぬ感じでした。ついに、願いが叶うところまで本当にやって来てしまったのです。
明朝、大量の山の芋が運ばれ、芋粥が調理され始めます。そう、この芋粥を食らうため、自分は京から敦賀まで旅して来たのだ。ところが、そう思うとやけに食欲が何故だかなくなってくる。大量の芋粥を目の当たりにして、食う気がどうにも起こらないのです。
さあ、客人、たんと食え、と言われても、箸がさっぱり進まないのでした。少し食べると、本当に腹一杯になってしまいました。そして、五位は、大量の芋粥を目にする前の、皆に馬鹿にされつつ、芋粥を恋しがっていた過去の自分のことを思い出していたのでした。
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芥川龍之介『芋粥』の感想、解説、考察
夢が叶うとなると途端にしぼんで見えてしまう。手の届かない願望が、手にした瞬間つまらなく思えて来る。そして何より、叶わぬ夢、希望を抱き続けることで、人は案外それを支えにして生きていることを明らかにした一作ですね。
理想というのはとても美しく、芋粥は五位の中においてはたいそううまいものだった。しかし、現実はその理想を超えて来ることはない。夢が叶わなかった不幸だった頃の方が、幸せだった。なかなかドキッとさせる話となっております。
それでもたらふく芋粥食べちゃう人もいそうですが、五位の侍というのは、それだけ繊細な男だったわけですね。
ちなみに、芥川龍之介の王朝物は、前述しました通り『今昔物語集』の内容を膨らませて書いたと言われておりますが、本作『芋粥』の主人公の冒頭の書き出しの設定は、ゴーゴリの『外套』とものすごい類似しております。比較して読むと結構面白いかもしれません。ロシア文学からも相当の影響を受けているんですよね、実は。
人間の心理の裏を描いた芥川龍之介の『芋粥』、ぜひ一度ご一読くださいませ。
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