『女生徒』は太宰治が著した短編小説で、とある女生徒の5月1日における、目覚めてから眠るまでの一日間の心情の揺れを描いた作品になります。1939年4月号の文学界にて発表され、川端康成からの大きな賛辞を受けた一作です。
思春期の女の子の気持ちが書かれており、今なお通じるところがありそうな、妄想一杯、でも現実的な世界とのバランスのよりどころを探ろうとしている、非常に頼りなくもどこかしなやかな強さもある、そんな女子の心の内が描き出されています。
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『女生徒』のあらすじ
父を喪った主人公たる”女生徒”が5月1日の朝に目覚めるところから物語は始まります。犬を飼っていて、ジャピィとカァと二匹いるんですが、ジャピィの方は可愛いんだけど、カァの方は結構ブサイクみたいで、わざとカァに冷たくしてみたり、そんな自分をいけない子、なんて思って見たり。それで涙を流してみようとするけれど、ついぞ涙は流れなかったり。
お母さんは朝から誰かの縁談か何かのために大忙しで、そんなお母さんはお父さんと深い縁で結ばれていた美しい清らかな夫婦なのだと思ったり。そう思う自分を生意気だと思ったり。
電車に乗って学校に行き、その最中本を読んでいる時に、ここに書かれていることと自分の生活が上手く紐づいていなくって、それは自分だけじゃなくって、言葉を操る誰もがそうで、皆自分自身の本当の気持ちは書かずに、自分自身の本当の理想はどこにもない。それは自分だってそうで、本を取り払ったら、自分はどこへ行けばいいのか。理想を頼りに歩いて行こうとすれば、父母兄弟に叱責される。自分の考え方を上手く伸ばすことなんてできない……。
なんてことを思いながら、電車はお茶の水へと到着し、登校。学校では学友たちがはしゃいでいて、帰り道には、自分を一番の親友だと慕う”お寺さん”と一緒に髪型をセットする。けれどうまく行かなくって、このままお見合いするわなんて言っているお寺さんのテンションについていけなくって、帰りのバスに乗り込むけれど、道中で見た厚化粧の女や薄汚れた妊婦と自分が同じようなものだと思って少し落ち込んでみたり。ああ、このまま、若いまま、少女のまま、病気になって死にたいと思ったり。ふと帰り道にお父さんのことを思って、美しく生きたいと願ったり。
家に戻ると、大森の今井田さん御夫婦に、ことし七つの良夫という子がお客で来ていて、お母さんがよそ行きの顔で張り切っている。余所行きのお母さんを見るのはどうにもつらく、この小金持ち(プチ・ブル)の夫婦がとても嫌いで、小役人のような家族に愛想を振りまく母親を見るのがまた嫌になる。
眠る前に、お母さんが”裸足の少女”という映画を見に行っても良いと言ってくれる。その代わりに、マッサージをしておくれと。それがとっても嬉しくて、お母さんに甘えるようにして、さっき、心の中で、余所行きのお母さんに悪態ついてゴメンね、なんて思いながら、お母さんに尽くしてあげる。そうだ、お母さんが私をもっと大人扱いしてくれたなら、わがままだって言わない。いつまでも私を子ども扱いしないで。きっといい子になるから。良い娘になるから。
お母さんが眠った後、彼女は床に就きながら、一人で考える。もう少し時間が経てば、あのお山の上まで行けば、きっと見晴らしがよくなるから。皆がそういうけれど、今この瞬間辛くて、たまらないのはどうしたらいいの。決して刹那主義ではないけれど、この痛みをどうすればいいの。
明日もきっと幸福は来ないだろう。ずっと幸福は来ないだろう。幸福は、明日の晩やってくるとしても、私はそれを待ちきれずに家を飛び出して、飛び出してしまった後の家に幸福はやってくる……。
そうして彼女は眠りに就くのでした。
『女生徒』の感想・解説
この小説には、たくさんの名言がありますね。
人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは、人間だし、花を愛するのも人間だもの。
美しさに、内容なんてあってたまるものか。純粋の美しさは、いつも無意味で、無道徳だ。
などなど。
あなたも私も、きっと思春期の時に思っていた、不安や葛藤がつぶさに描かれています。しかしながら、男の子とは違って、非常にどこか逞しくもあり、観念に逃げ切ることなく現実との折り合い、ちょっとした日常の喜びの中で葛藤している様が本当に女性というのは強いものだなあと思ったりもします。
太宰治って男なのにすごいなあと思うところですが、本作『女生徒』は、実は本当に”女生徒”が書いたものだったのですね。太宰治に日記のような手紙を送った有明 淑という女性がおりまして、この日記を、女生徒の目覚めてから眠るまでの一日に太宰治が再編して発表したのがこの『女生徒』なのだそうです。
この作品の何が素晴らしいかって、生、そして死に至るまで幅広い観念というかとんでもなくとりとめもない膨大な空想、夢想がたった一日の中に広がっているということであり、そういう形で本作を描き上げた太宰治の手腕というのは本当に素晴らしいものだと思います。ぜひご一読ください。