- 作者 田辺聖子
田辺聖子は人間の心情の微に入り心のひだの奥の奥まで見通した文章を書かれる作家で、人間の心というのはこれほどまでに静かに細かく揺れ動くものなのかとため息をつくほど繊細な文章です。
『ジョゼと虎と魚たち』は田辺聖子さんの代表的な作品で、ぜひすべての本好きに一度読んでいただきたい本です。短編ですので、ほんの三十分もあれば読むことができるでしょう。ジョゼの心情が切なくて、たまらない。
『ジョゼと虎と魚たち』のあらすじ
ジョゼというのは、クミコという女性が自身に授けた名前です。ジョゼは、子供のころから下肢の麻痺を患っており、車いすの生活を子供のころから送っています。母親は彼女が幼いころに家を出てしまい、父親の元で育てられたのですが、父親が再婚し、やがて施設に入れられてしまいます。父親の再婚相手には連れ子がおり、三歳ほどのその子は自分のことを「アタシ」と言えず、「アタチ」と話していました。父の愛が自分に注がれず、その子に向けられるのは、「アタチ」と呼ぶからだと思ったジョゼは、自分を「アタチ」と呼ぶようになり、やがて「アタイ」と変化していきました。
しかし、愛を注がれず、彼女に残ったのは「アタイ」と自分を呼ぶ癖だけでした。十七まで彼女は施設で過ごし、それから父方の祖母に引き取られて二人で暮らします。
祖母は、彼女を人前に出すのを嫌がり、散歩をするのはいつも夜でした。ある夜、彼女を押していた祖母は坂の上で、少し彼女を置いてちょっとした買い物に行ってしまうのです。そのとき、何者かが坂の下に向けて車いすを一気に押してしまいます。
大事故になる寸前のところでその車いすに飛びついたのが、恒夫という大学生でした。
恒夫は、それをきっかけに、たびたびジョゼと祖母が暮らす家へと出入りするようになります。人と付き合うのが下手な、ひっそりと誰に知られてるともなく生きてきたジョゼのわがままを、恒夫は文句を言いながらも手伝ってあげるのです。時に家のリフォームを手伝ってやり、時に遠くの風呂屋へ送ってやったり……。
しかし、恒夫もボランティアではありません。彼は普通の大学生で、スキーに出かけ、広島の実家に戻ったり(ちなみに本作の舞台は大阪)しており、しばらくジョゼの家に行かなくなってしまう時もあったのです。
そして、久々に家をのぞいてみると、彼女の祖母は亡くなっており、ジョゼも引っ越してしまったというのです。慌ててその引っ越し先に行ってみると、以前よりもやせたジョゼが出てきました。恒夫には彼女の面倒を見てやる義理もないのですが、どうにも気になってきたわけですが、ジョゼは自分を憐れむのをやめろと、恒夫を追い返そうとするのです。
ところが、恒夫が帰ろうとするとジョゼは彼に帰ったらイヤやとすがりつくのです。そうして、恒夫とジョゼは恋に落ちることになります。
ジョゼには、好きな人ができたら見たいものが二つありました。それが、虎と魚でした。
虎は、彼女にとって一番怖いものでした。好きな人ができたら、虎を見よう。できなかったら、一生見ないままでした。
そして、もうひとつの魚。ジョゼと恒夫は海の底の水族館を見に九州へと向かいます。(おそらく天草パールセンターというところの水族館がモデルのようです)
その海の底で魚を見て、ジョゼは死んだんやなと思うのです。彼女は幸福のことを考えると、それはつまり死と同義語であり、自分にとって死とは完全無欠な幸福、なのだと思うのです。
そうしてジョゼは細い二本の足を並べ、恒夫に体を委ねて安らかに眠るのでした。
ジョゼと虎と魚たち 感想
最後の
(アタイたちはお魚や、「死んだモン」になった――)
と思うとき、ジョゼは(我々は幸福だ)といってるつもりだった。
という一文をいかように捉えるかは人によって異なるでしょうが、私は恒夫との出会いのきっかけとなった何者かに坂から突き落とされたときに彼女はもう死んでしまったも同然と思えたのではないかと思いました。
愛さず愛されずひっそりと強がって生きてきた彼女の幸福の観念は少し屈折し、死を感じ、恒夫と出会ったときに、クミコという名前さえ捨て、新たなジョゼという自分を生きようとしているのではないか。だから、彼女にとって幸福とは、死であると思えたのではないかと。
そう思うとジョゼがますますいとおしく、切なく感じられ、その足と同じくあまりにもろい心情に涙がこみ上げてきます。きっと、ジョゼの思う通り、やがては恒夫は彼女を捨ててしまうでしょう。この恒夫の心情の描き方も素晴らしく、純愛とは少し違う、とはいえ偽善的なものでもない、どこか刹那的な一人の若者であり、純愛を貫き通すような、ドラマチックな男ではありません。どこかお人好しで、間の抜けた、善人だけど、ジョゼのすべてを背負うような男ではなく……。
非常に残酷ではありますが、それでより一層、ジョゼのつかの間の幸福に浸る心のガラス細工のようなもろい美しさに読み手はひかれてしまうのではないでしょうか。