『ねじまき鳥クロニクル』第一部は、一九八四年六月から七月にかけての物語だ。村上春樹は、1984に何か思い入れがあるのだろうか。何かで言及されているかもしれない。
1984年は、村上春樹35歳である。もしかして『ねじまき鳥クロニクル』が書かれた年かなと思ったが、『ねじまき鳥クロニクル』は、1994年に発表された作品だ。1984年、村上春樹は『中国行きのスローボート』を発表しており、翌年『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』を発表している。
考えられるとしたら、ジョージ・オーウェルの『1984』の影響だろうか……。確か『1Q84』は影響を受けたと明言されていたと思うが……。最後までしっかり読んだら何かが見えるかもしれない。
火曜日のねじまき鳥、六本の指と四つの乳房について
この冒頭の一遍は、以前に村上春樹が書いた短編小説『ねじまき鳥と火曜日の女たち』と酷似している。酷似しているというか、村上春樹は短編小説を書き、そこから長編小説の構想へとつなげていく書き方をするときがある。『ノルウェイの森』の前には『螢』というよく似た小説が書かれている。どこが変わっているかも時間があれば見ていきたい。
物語は、ロッシーニの『泥棒かささぎ』を聴きながらスパゲティーをゆでている時に、ある電話が掛かってくるところから始まる。電話の主はわからない。謎の女である。
ちなみに、ロッシーニの『泥棒かささぎ』はこちら。
“僕”
四月に法律事務所を辞めた無職の男だ。辞めても生活に不自由してない。(村上春樹作品は、皆お金に困ってないなあ)煙草を辞めてから、レモンドロップばかり舐めている。1984年6月時点で30歳と二カ月。
電話の女
“僕”のことを何もかも知っている。一方、”僕”は女のことを何も知らない。”僕”にテレフォンセックスのようないたずら電話を掛けてくる。
猫
“僕”とクミコが飼っている、大柄な雄猫。茶色の縞で尻尾の先が少し曲がって折れている。名前は、ワタヤ・ノボル。クミコの兄の名前と同じ。感じが似ているらしい。ノミ取り用の黒い首輪がついてる。結婚直後から飼い始めた、クミコがずっと可愛がっていた。
猫がいなくなっている。路地の奥にある、空家の庭にいるのではないか、と妻のクミコは言う。庭には、鳥の石造があるあらしい。
クミコは、猫が死んだと思っている。”僕”は死んでいないと思っている。猫とは何なのか……。認識が異なるクミコと”僕”……。
路地
路地といっても路地ではない。入口と出口が閉ざされた不思議な空間である。高度成長期に新しく家が立ち並ぶようになってから、やがて家の間を結ぶ通りがふさがれた。路地の辺りの家は、古い家と新しい家にはっきりと分かれている。高度成長期の何かの暗示のような……。
ねじまき鳥
近所の木立からねじを巻くようなギイイイッという規則的な鳥の声が聞こえる。妻のクミコがその鳥をねじまき鳥と名付けた。世界を動かす存在、的なことなのか何なのか。路地の奥にある庭にも鳥の石像がある。
庭の娘
そういうのをメスで切り開いてみたいって思うの。死体をじゃないわよ。死のかたまりみたいなものをよ。そういうものがどこかにあるんじゃないかって気がするのよ。
猫を探しに行った路地の先にいる、鳥の石造がある庭にいた娘。十五歳か十六歳。
六本の指と四つの乳房について
庭の娘が言った話。指が六本ある親類がいるらしい。乳房が四つあるのとどれくらい違いがあるのかと問う。子どもに遺伝するかどうか、という話をわりと何度か振ってきており、ここが割と重要な気がする。
まずはこの辺りか……謎の多い出足である。
[…] 『火曜日のねじまき鳥、六本の指と四つの乳房について』の続き。この章は、”僕”とクミコに関する話で登場人物も少なく比較的シンプル。 […]
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