- 著者 村上春樹
- 新潮文庫 百十八刷
- 村上春樹デビュー作
作家の感性が最も色濃く反映されるのは、デビュー作ではないでしょうか。小説家のデビュー作は、作家が作家になる前の、編集者の意向も作家としての自身の方向性もまだない、その作家ならではの独特の感性で支えられている、と思います。
というわけで、1979年に発表され、第22回群像新人文学賞受賞、第81回芥川賞候補にもなりました本作『風の歌を聴け』は村上春樹の中で最も村上春樹らしい作品ではないかと思います。この独特の言い回し、浮遊感、妙な切なさ、悲しさ、そしてあたたかさ。氏の感性がむき出しに表現されており、これぞ村上春樹と言える作品です。
もう十回以上読んだけど、やっぱりいいですね。好き嫌い分かれるかもしれませんが。
『風の歌を聴け』のあらすじ
完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望というようなものが存在しないようにね。
一事が万事このような書きぶりで、人によっては鼻につくかもしれませんが、この言葉は村上春樹を村上春樹足らしめる哲学の一つでもあります。
完璧な文章はない、だからこそ、過去を描ける。文章は救いではないが、救いを求める手立てではある……みたいな。
いちいち洋楽のCDを掛け、バーへ行き、気障なセリフをしゃべる。途中にはTシャツの挿絵さえ出てくる。ここまであえて恣意的だと、ちょっと嫌だと思う人はいるかもしれませんが。
さておき、これは”僕”と”鼠”というあだ名の青年の物語です。意気投合した二人は、ジェイズバーという中国人のジェイさんが経営するバーで毎晩のように飲んでいます。
なのに、それでもこの小説が美しいのは、どうにもならない溝があり、どうにも寄るべくなく、悲しく漂う人間の姿が描かれているからです。
『風の歌を聴け』にまつわる数々の逸話
- まずは英語で書きその文章を日本語にしている
- 一度書いた小説の時系列をバラバラにし、組み替えている
- 大好きなヤクルトスワローズ応援中に、群像新人賞最終選考に残っている電話が掛かる。ヤクルトが勝った時、ああ、これは受賞した、と確信する。
……などなど、どこまで事実かわからない逸話が多く残されています。
デレク・ハートフィールドという実在しない作家
この小説には、デレク・ハートフィールドという作家が出てきます。主人公の「僕」はこの作家への影響を何度も口にしており、物語の根底にデレク・ハートフィールドの思想が流れていると言っても過言ではありません。
村上春樹は、あとがきでもデレク・ハートフィールドについて言及しています。若かった私は、名前も聞いたことがないが、よほど優れた作家がアメリカにいるのだなと感心しました。高校生の頃でした。
それから、大学生になってこの作家が実在しないことを知り、相当な衝撃を受けました。自分がいかにだまされやすいかというのもさることながら、自身の処女作を存在しない作家の思想の上に組み立てていく、というのがなんだかとても恐ろしかったのです。そんなことして怖くないのか……と。
村上春樹は、後に『羊をめぐる冒険』を書き、『ノルウェイの森』を書き、『世界の終りとハードボイルドワンダーランド』を書き、『アンダーグラウンド』へとたどり着き、『1Q84』へと向かいます。
これがまあ恐ろしいことに、村上春樹において最も重要なメタファーである”井戸”は本作にも出てきますし、後に度々現れる指の足りない女の子も出てきます。
次第に自身の書くべきこと、使命のようなものを見出し、その思考はより深い場所へと潜っていきます。
そんな氏の原点は、すべて『どうにも埋められない溝』から端を発しており、その原点はすべてこの『風の歌を聴け』に描かれています。
村上春樹が好きな方は、ぜひこのデビュー作もご一読いただきたいなと。
[…] 村上春樹は『風の歌を聴け』のところでもちょっと書いたけど、デタッチメントとコミットメントを書いてきた作家であると思う。 […]
[…] 村上春樹は『風の歌を聴け』のところでもちょっと書いたけど、デタッチメントとコミットメントを書いてきた作家であると思う。 […]