遠藤周作

『黄色い人』のあらすじ、解説、感想などなど。

投稿日:2018年8月11日 更新日:

『黄色い人』の作者は遠藤周作です。日本近代文学における偉人の一人だと私は思います。遠藤周作は日本人におけるキリスト教に対する違和感、みたいなものを書き続けた人なんですが、宗教というものに真っ向から取り組んだからスゴイ、のではなく、その描き方というか、生々しさ、切実さ、また虚しさ、空虚さ……。質感がスゴイというか何というか。

この『黄色い人』は、遠藤周作の初期の作品で、芥川賞受賞作である『白い人』とセットになって文庫本になっています。舞台は兵庫県は仁川、関西学院大学辺りが舞台となっています。

黄色い人、というのは、もちろん、我々黄色人種のことです。まあ、日本人ですね。戦時下における神に背いた神父デュランさんと肺病の療養で故郷に帰ってきた日本人のそれぞれの手紙が交互に現れ、物語が紡がれていきます。

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遠藤周作『黄色い人』のあらすじ

舞台は戦時中の仁川。主人公千葉はB29の爆撃に遭った建物の中、血を流して死んだように眠る糸子という女性のそばで、高槻の収容所にいるブロウ神父に手紙を書いています。先にも書きましたが、本作は、この手記とデュランという神父の日記によって構成されています。

その手紙が、届けるべき神父の手に渡るかどうかはわからない。しかし、それでも書いている。それは、ひとつは、そのデュランの日記を同封して届けるためでもありました。その日記は、彼にとって、「俺とは無縁なことだ」と感じていました。

さて、まあ、千葉は、自分に洗礼を与えし神父に手紙を書いています。洗礼を受けたにもかかわらず、ついに彼にとっては神も罪も実感できない。キリスト教というものをついにうまく消化できない。あるのは、重く沈んだ疲労だけだと述べています。

彼は、今なぜ仁川にいるのか。彼は、東京の医学部生であったのですが、肺病を患い、休学してしばらく故郷の仁川に戻ることになったのです。仁川はひどく荒廃していました。もともと昭和七年ごろカナダ人が住み着き、西洋式に拓かれていった場所なのですが、戦争で外国人が引き揚げ、西洋風の家は工員の寮となり、赤松の林は、伐採されていました。残っている外国人は、この手紙の宛先である神父と、デュランさんだけなのでした。

千葉は戦争の手伝いを逃れるべく、週に二度叔父の病院を手伝い、あとは何もせず過ごしていました。何もせず、と言っても、従妹の糸子という少女とは逢瀬を重ねていました。彼女には佐伯という許嫁がいました。佐伯は主人公の友人でした。彼は罪を犯していたのです。しかし、そこには後悔はない。といって、情欲も恋もない。暗い諦めだけでした。

糸子を送った夜、彼は、デュラン神父の家に立ち寄ります。そこで、刑事か何かに見つかったため、仕方なくデュラン神父の家を訪ねることになりました。

さて、そんなデュランは、キミコという日本人女性と同居していました。神父さんは、そういうことをしてはいかんのですね。ということで、神から見放された神父なのです。彼は、ブロウ神父のひそやかな援助で、信者たちの眼から隠れながら、生ける屍のように暮らしていました。なお、日本の国籍を持ってはいますが、いつ日本から追い出されるか気が気でありませんでしたが、警察にマークされていました。何も悪いことはしてないのですが、彼は一丁のピストルを隠し持っていたので、これがばれるとまずいのでした。

突然千葉が現れたため、不味いと思ったデュランはブロウに罪を着せることを考えました。この銃は、ブロウから預かっている者だと嘘をついたのです。

ついたはいいものの、デュランは激しく罪の意識に苛まれます。キミコと暮らしている神父失格の自分をこの国で暮らせるように資金の援助までしてくれているブロウを、簡単に売ってしまった。その罪の苦しみから、キミコに当たりますが、キミコには、理解できないと言います。罪というけれど、あなたはすでに教会から離れた身。いつまで神だの罪だのに苦しんでいるのだと。その時、デュランはようやく、黄色い人の意識が自分たち白い人と異なることに気付き始めもしました。

その言葉に鼓舞された面もあったのか、デュランは、ブロウの教会に拳銃を隠しに行くことにしました。それはそれは慎重に……だがしかし、最後すべてを終えて教会を出たデュランは、最後に戸棚を閉めたかどうかの記憶がすっぽり抜けて落ちているのでした。ブロウは、拳銃が隠されたことに気付いているのか、それともいないのか……。

ブロウも千葉も、互いに、戦時下において警察には大っぴらにできぬ状況にありました。また、二人は同じように、愛してはいけない相手を愛しているのでした。だから、デュランは千葉に取引を持ち掛けます。拳銃のことは誰にも決して言うな。そちらも、兵隊にもならず、工場の手伝いもせず、という状況を警察には知られたくないだろうと。

ところが、千葉は全く誘いに乗って来ない。それもそのはず、デュランは深く苦しんでいるが、千葉の方は同じ罪を犯していても、どこまでも深い疲れと諦めしかないのですから。どっちでもええねん、という感じなのです。苦しむデュランにキミコは策を授けます。ブロウが行動する前に、警察に拳銃を隠していると密告文を送るのよ、と……。

その密告文を送った翌日、デュランはブロウに会いに行きます。それは、戸棚が閉まっているか、彼が気づいていないかを確認するためでした。ブロウが、教会の内陣で、床に突っ伏して泣いているのが見えました。デュランには、なぜ彼が泣いているのかがわかりませんでした。それからほどなくして顔を合わせた際、涙の跡は確かにありましたが、ブロウはいつも通りのブロウでした。

戸棚に変化はありませんでした。拳銃に気付いている様子も、ありませんでした。ブロウは、変わらずキリスト教の話をしていましたが、デュランは、この国にキリスト教が根付かぬ理由がわかっていました。ブロウがついにわからなかった、この黄色い人たちに潜む、虚無というか、無意識というか……。

それから、ブロウ神父は、ほどなくして、高槻の収容所に入れられることになりました。その日は、佐伯が仁川に戻って来る日で、糸子がそれを教会に伝えに行ったところ、ちょうど神父が警察に連れて行かれるところだったのです。

千葉は、それを家で糸子から聞きつつ、それでも何の驚きも感慨もありませんでした。やがて、敵機が迫る音が窓に響き渡りました。起きねばと思いつつ、千葉は相変わらずけだるいままでした。その時、庭に緑色の紙に包まれた何かが落とされる物音がしました。それこそが、デュランの日記だったのです。

千葉が庭先からデュランの姿を認めた時、B29が頭上に迫り、街が爆撃に襲われ、一気に戦場と化しました。西洋人が死んでるぞという声が遠くから響きました。家はがれきとなり、目の前で糸子が血を流して倒れています。そんな中、千葉は純白な世界と黄色い人たちとの隔たりを感じながら、その手紙をしたためたのでした。そして、その日は、クリスマスなのでした。

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遠藤周作『黄色い人』の感想・解説

遠藤周作自身、親の影響でカトリックの洗礼を受けており、医学部ではないですが、医学部を父親に命じられていたりしており、この千葉という男の葛藤は、まさしく遠藤周作自身の葛藤が反映されていると思います。

後年に至るまでの遠藤周作の主題がこの時点で結構現れており、つまりはこの白人におけるキリスト教の捉え方と、日本人におけるキリスト教の捉え方が全く異なり、上手く神や罪を受け入れられない日本人の苦悩、苦悩ならまだしも、苦悩さえもしがたい、その溝に存在する何か、みたいなものを明らかにしようとしていきます。まあ、本作だと、溝があるよ、という感じですかね。

白人と日本人の対比なので、その苦悩っぷりと虚無っぷりが結構わかりやすく読めるんじゃないかなと思います。

芥川賞受賞作でもある『白い人』、そして名作『海と毒薬』、『侍』、『深い河』と読んでいけば、いかに遠藤周作がとんでもない仕事を残した小説家であるというのがお分かりいただけるかと思いますので、ぜひ気になった方は続いて手に取ってみてください。







-遠藤周作

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