- 作者 宮本輝
- 1982年発表
- 二十四通の往復書簡で全編綴られる物語
『錦繍』は、一九八二年に発表された、全編往復書簡で紡がれる物語です。
舞台は蔵王。別れた夫婦の十四通の手紙のやり取りで構成されています。
『錦繍』は、これまでに百万部以上が発行された、宮本輝さんの作品の中でも随一の作品で、代表作となっています。
宮本輝は、『螢川』で芥川賞受賞後、友人と蔵王へ旅行へ出向きました。その移動の折、車内で喀血したそうです。
その時、すでに宮本輝さんの肺は、結核にむしばまれていたのですね。それを宮本輝さんは何故だか黙ってそのまま旅を続けるのですが、秋の蔵王の景色を見た際に突如冒頭の文章を思いつき、書きあげたという。
書きあげたと言っても、その数行後からものすごい詰まったそうですが。
全編が往復書簡で綴られる業の物語、『錦繍』のあらすじ
前略 蔵王のダリア園から、ドッコ沼へ登るゴンドラ・リフトの中で、まさかあなたと再会するなんて、本当に想像すら出来ないことでした。
この小説は、期せずして偶然再会した夫婦の間で交わされる、往復書簡型の物語です。勝沼亜紀が有馬靖明へと送る手紙から、物語は動き始めます。
二人の間に流れる物語は、十年前に起きた有馬とその幼馴染の由加子との心中事件でぷっつりと止まっていました。
妻であった亜紀は、突如巻き起こった夫の心中事件の真相を何も聞かされぬまま、別の男と再婚し、障害者の子をもうけていました。
一方の有馬は、心中相手となった幼馴染由加子のことを引きずりながら、前を向くことなく生きている。過去にとらわれたまま生きる二人が、未来へと向かうまでの物語だ。
『錦繍』の解説
つまりは宿命の物語であり、『幻の光』から続くテーマを描いている。
生きていることと、死んでいることとは、もしかしたら同じことかも知れへん。
全編の底を流れるのは、作家宮本輝自身の死生観である。輪廻転生、と言ってしまっていいのか、生の先に死があり、死の先に再び生がある。だから、人は生まれながらに差がついている。作中、その差は業とされている。その差とどのように向き合うか。生きることとは何か、生の終わりに何があるのか。何故人と人は出会うのか。ドラマチックな物語でありつつ、『錦繍』は、非常に宗教的な物語である。
錦繍の意味
決して会って話をしてもわかり合えない領域へと、二人の間を行き交う手紙は踏み込んで行く。手紙だからこそ、二人は深く癒されていく。言葉というものの恐ろしさにも触れることが出来るだろう。
錦繍とは、そもそも錦と刺繍を施した織物のことである。人と人のつながりが織り重なり、美しい織物になる。読後、そうした美しい光景が広がっているだろう。
理容店のPR冊子の話
物語の終盤、理容店のPR冊子をつくる仕事に就くくだりがあるが、これは宮本輝氏の実体験に基づく話で、氏も会社を辞めて作家を目指した三年間の間、師と仰ぐ池上義一氏の誘いを受けてPR冊子をつくっていたそうだ。
舞台化
度々映画化の話が持ち上がっては立ち消えていく映像化不可能と思われた本作であるが、イギリス人の演出家によって舞台化された。
往復書簡はどこから着想を得たのか
往復書簡という形式は、どこから着想を得たかというと、ドストエフスキーの『貧しき人々』に影響を受けて書かれたとのことです。こちらも男女の往復書簡から構成される、切ないというか残酷な運命が描かれた作品です。宮本輝は大学浪人生時代に二百数冊の小説を読みまくったそうで、その中のひとつでしょう。ぜひこちらもご一度くださいませ。
[…] これは、後に宮本輝が発表した『錦繍』の一節であるが、『泥の河』の存在は、この思想そのものなのだ。そこを浮き沈みし流れていくお化け鯉は、命そのもの、とでも言おうか。 […]
[…] 青年は、宮本輝自身の死生観を荒々しく凝縮したような存在である。『幻の光』や『錦繍』で描こうとしたはずの、終わりなき生命を彼は体現している。 […]
[…] また、全編往復書簡で紡がれる『貧しき人びと』の影響を受けて書かれたのが、時代も国も言語も変わってますが、宮本輝さんの『錦繍』だったりします。 […]
[…] 鉄道自殺した夫、失踪した祖母。ゆみ子の前からいずれも姿を消した二人の大きな存在。宮本輝は、一生抜け出すことのできない業、宿命をゆみ子に与えた。『幻の光』は、いかにして業を越えていくかをテーマに据えた最初の作品だと思う。このテーマは後に『錦繍』へと引き継がれていく。人間にとって、不幸とは、幸福とは何なのかを考えさせてくれる。 […]