梶井基次郎について

『Kの昇天』梶井基次郎 月光に彩られた美しき短編小説

投稿日:2019年12月29日 更新日:

『Kの昇天』は梶井基次郎が著した短編小説です。とても短い作品です。1926年、大正14年に「青空」誌上にて発表されました。副題も含めると、『Kの昇天――或はKの溺死』というタイトルの作品です。

梶井基次郎は多くの優れた美しい短編小説を遺しており、本作もその例に漏れず、非常に短い短編小説で、サクッと読める詩のような作品となっています。青空文庫でも読むことができますし、書籍ですと『檸檬』などと一緒になった短編小説集で読むことができるでしょう。

本作は手紙の形式で書かれている作品で、「私」から面識のない「あなた」へタイトルの通り、「K君」の死、溺死について綴られた手紙となっています。

『Kの昇天』のあらすじ

本作は、「あなた」から「私」の元に届いた手紙への返信となっています。「あなた」が何故「私」の元に手紙を書いたかというと、K君が溺死した理由がとんとわからないためでした。「私」は私でK君が溺死したことをその手紙で知るのですが、「私」はKとなくなるちょっと前から懇意になっており、ならば何か理由を知っているのではないかと思われたわけです。

K君は何故死んだのか?を「あなた」伝える手紙形式のお話

私は「とうとうK君は月世界へ行ったのだ」と考えました。それが彼が死んだ理由だろうと。私は「あなた」にその話を書き連ねるのでした。

私は夜に眠れなくて満月が浮かぶ月夜の浜辺に散歩に出るのですが、そこに一人の男が浜辺を行ったり来たりして歩いているのでした。それがK君なのですが、彼は何かを探しているような様子で延々とうろついているのです。

ところがよく見るとどうも物を探している感じでもない。奇妙なことだが、自分の影を踏んでいることがわかりました。それで、気になり過ぎて、落とし物でもしましたか? と話しかけてみたところ、ぽつぽつと彼は話し始めました。

月の光に照らされた自分の影は、もう一人の自分

自分の影を見ていた。それは阿片のようなものであると。影をじっと見ていると、生物の相が現れる。やがてそれは生物の気配がするどころか見えるもの、になる。電灯の類ではそれは見えない。月の光が一番良いのだと。月夜になると、影とドッペルゲンガーに取りつかれたようになる。その世界になじんでくると、どうも昼間は現実でない気がしてきて、阿片中毒者のような、喫煙者のような心地になる、ということでした。

現れてくると、影は自分の人格を持ち始め、それにつれてこちらの自分は月に昇っていくような心地になる。魂が月の光線をさかのぼり、昇天するのであると言うのです。

何度も月に行こうと思うがしかし、

哀れなる哉、イカルスが幾人も来ては落っこちる。

梶井基次郎『Kの昇天』の中のジュール・ラフォルグの詩

のように、何度やっても落っこちるのだというのでした。

そのKとの奇妙な発対面を経て、私とKは毎日あったり散歩するようになりました。また、K君は日が経ち、月が欠けていくに従って、夜中に散歩することもなくなりました。

月へと昇天したKの魂

だから、「私」は「あなた」からの手紙でKの溺死を知ったときに、とうとう月へ登ったのだな、と思ったのです。彼の死体が浜辺に打ち上げられた前日はまさしく満月の夜だったのですから。

Kに自殺するような原因は感じませんでしたが、「私」の方が健康を取り戻す一方、Kの瞳は深く済み、だんだん頬はこけていっていました。Kはおそらく、影に奪われたのだろうと思えました。

きっとその満月の夜、影は本当に見えるものとなり、Kの魂は月へと昇って行った。それとともに、実体のK君は海へと入っていき、やがて流されていったのでしょう。月に行けず落っこちたならば、きっと彼なら泳いで海から戻っただろう。しかし、彼の魂は月に昇ったままで、肉体は波に現れ、飛翔してやがて昇天してしまったのでしょう。

『Kの昇天』の解説、感想

梶井基次郎らしい、詩的世界で描かれる美しい一作です。 この作品を発表する頃、肋膜炎を再発しており、「右肺尖に水泡音、左右肺尖に病巣あり」という診断を受けていました。

おそらくは彼自身に迫っていた死の気配も、この作品が書かれた一因ではないでしょうか。

『Kの昇天』とドッペルゲンガー

しかし、文豪というのは突き詰めていくと、最終的にドッペルゲンガーが見えるのでしょうか? ドッペルゲンガーと言えば芥川龍之介の『歯車』ですね。この辺の共通性と違いに着目して読んでみるのもいいかもしれません。

作中、「私」が口笛で吹くハイネの『ドッペルゲンゲル』の歌詞の中には、月に照らされた男の顔を見ると、自分と同じ顔だ、というような一節もあります。この辺りから着想を得て書かれたのでしょう。また、当時は『プラーグの大学生』というドッペルゲンガーをテーマにした映画が発表されたりもしていたようです。

生きようする自分と死に向かおうとする自分の対比

もしかすると、「K君」は「K君」のドッペルゲンガーを見たのではなく、「K君」こそが「私」のドッペルゲンガーかもしれません。そもそも、この手紙をもともと送ってきたという「あなた」という存在。考えてみれば、面識もない、なくなる一月前に月夜の浜辺で出会った人物に手紙を送るのは結構難しいのでは? と重箱の隅をつつきたくなります。そう思うと、この「あなた」さえ実在するのかあやふやにも思えます。

私は健康になり、K君はついに月に昇って昇天した。もしかすると死と対峙する梶井基次郎の自己のようなものを描いたのかもしれませんね。

なお、この前年、1925年、大正13年に梶井基次郎自身が書いた『泥濘』で見いだされた月の光によってできる影が実体のように見える、という着想を膨らませて、この『Kの昇天』は書かれておりますので、そちらもご一読ください。

KはなぜKなのか

なお、昇天してしまうKはKという名がつけられていますが、これは梶井基次郎が傾倒していた夏目漱石の『こころ』によるところと考えられています。『こころ』もまた、Kという親友の自殺にまつわる物語なのですね。

美しい梶井基次郎の作品群

『Kの昇天』の詩的でちょっと病的でかつ美しい世界観が気に入った方は、同じく梶井基次郎が書いた『檸檬』や『桜の樹の下には』も読んでみると良いでしょう。この二作品はやはり梶井基次郎作品の中でも特に素晴らしいものです。







-梶井基次郎について

執筆者:


  1. […] このころ、梶井基次郎は病に侵されており、この月の影にもう一人の自分、ドッペルゲンガーを見るという観念的発見は、後に書かれる『Kの昇天』にも表れています。『Kの昇天』に至るまでの思索、のような作品として位置づけられるのではないでしょうか。 […]

  2. […] 寺の次男。先生と親友であったが、後に自殺。ちなみに、この本作『こころ』及びKという名は梶井基次郎に影響を与え、『Kの昇天』という小説が後に描かれている。もちろん、というか、このKも自殺する青年である。 […]

  3. […] あとは、上述の『歯車』にも出てきますが、 芥川龍之介は自分の分身であるドッペルゲンガーを見ていたようです。それがまあ死につながったのかもしれませんね……という説も無きにしも非ずです。ちなみに同じようにドッペルゲンガーを見たのかはわかりませんが、『泥濘』『Kの昇天』で扱っていた梶井基次郎も結核で早世しております。 […]

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