ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編
- 前 6 岡田久美子はどのようにして生まれ、綿谷ノボルはどのようにして生まれたか
- 後 8 加納クレタの長い話、苦痛についての考察
この章では、過去からふたたび現在の時へもどり、岡田亨の物語が動き始める。”流れ”はすでに変わり始めている。
加納マルタの妹である加納クレタが家に現れ、水道水を採取しにやってくる。
岡田亨は、猫はどうなったんだと聞くのだが、加納クレタは言う。「猫はまだ見つからない。猫どころでなくもっと長い話になるだろう」と。
と、わりとシンプルで短い章だ。今さらながら、『ねじまき鳥クロニクル』の岡田亨の身の回りで起こる出来事は現実離れしている。夢のような世界だ。夢占いを読んでいるような心地がする……。
岡田亨と岡田久美子の距離感
自分が今いったい何を求めているのか、これからどこに行こうとしているのか、あるいはどこに行くまいとしているのか、そういうことが僕にはますますわからなくなってしまった。
これは『レモンドロップ中毒、飛べない鳥と涸れた井戸』の一節だ。確たる目的もなく仕事を辞めた彼にとっての行動原理は、大部分クミコが求めるものに基づいている。例えば、岡田亨が本章でクリーニング、しかも駅前のクリーニング店へ行くのは、クミコのブラウスとスカートを出すためである。
彼女はたぶん自分の服がそちらの店に出されることを好むだろうと思ったからだ。
彼の行動原理は、わりとクミコが求めるものに基づいている。そもそも、彼には相手が求めることを察知する能力にたけている、ように描かれている。チョコチップクッキーを加納クレタにあげたのもそうだろう。しかし、岡田亨には、”僕自身の存在と他人の存在とを、まったく別の領域に属するものとして区別しておける能力”がある。それゆえ、どれほど相手のことを思おうとも、自己の存在とは無関係なことであると考えているのではないだろうか。
一方クミコは、彼が求めることを何か提供する訳ではない。クミコが求めるのは、猫である。猫とは、彼女がほしくてたまらなかったものである。クミコの行動原理は、クミコ自身に基づいている。そもそも、前章の『岡田久美子はどのようにして生まれ、綿谷ノボルはどのようにして生まれたか』で示されたような生い立ちの彼女には、誰かが求めるものを上手く差し渡すことが、きっとできないのだろう。
我々はお互いを癒しあい、お互いに力を与えあうことがことができると思う
これは、前章で亨が綿谷ノボルに語った久美子との結婚の決意である。しかし、岡田亨がどれほど彼女のことを思い行動したとしても、いつもクミコは少し離れたところにいる。例えば、受話器越しのような距離感のところに。
『ねじまき鳥クロニクル』は、夫婦が本当に夫婦になるまでの過程を描こうとする小説なのだ。まぎれもない恋愛小説だ。たぶん。
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[…] 後 7 幸福なクリーニング店、そして加納クレタの登場 […]
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