志賀直哉

『小僧の神様』のあらすじ、解説、感想とかとか。

投稿日:2016年5月17日 更新日:

小僧の神様

『小僧の神様』は、小説の神様といわれる志賀直哉の小説ですね。1920年、志賀直哉37歳の年の作品です。「白樺」にて発表されました。異様に寿司が食いたくなる小説ですね。

ちなみに、本旨と関係ないですが、小僧寿しチェーンの小僧寿しは、この『小僧の神様』からきてるそうですよ。

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小僧の神様 あらすじ

この小説には、二人の主人公がいます。仙吉という秤屋の丁稚をしている十三、四歳の小僧と、Aという若き貴族院議員です。

仙吉は番頭さんが噂話をしている寿司屋の寿司を食いたいとかねてより思っていました。自分もいつかはそのような身分になって食ってみたい。しかし、うまい寿司とはどんな感じにうまいのだろう?とばかり考えていました。

ある日仙吉は往復の電車賃をもってお使いへと出ます。そこは番頭さんが噂していた寿司屋の近くでした。ポケットには帰りの電車賃四銭。帰りの電車賃を浮かして歩いて帰ることで、ひとつは食えるかもしれない。そうして暖簾をくぐるわけです。

そこにいたのが、貴族院議員のAでした。彼はBという友人の貴族院議員仲間からうまいと評判の鮨屋に入ろうとしていたところでした。そこへ小僧が入ってきて、海苔巻きを頼むのですが、今日はできないと言われます。しかし小僧は勇気を出して鮪の鮨に手をかけるのです。ところが、それはひとつ六銭で小僧の四銭では足りなかったのです。一度つまんだ鮨を手放し、小僧は同じように勇気を出して店を飛び出していきました。

Aはその小僧のことが心に引っかかったのです。後日Bと出会ってからもその話をし、「なんだか可哀想だった」といいます。どうにかしてやりたい気になったと。Bはならばご馳走してやればよいのに、というのですが、Aにはどうにもそういう勇気が出なかったのです。

それから、Aは幼稚園に通うわが子のために体重計を買いに神田の秤屋へと出向きました。それはまさしく仙吉がいる店でした。Aはそこで少し勇気を出すのです。Aは子のための秤を届け先に持っていくのに仙吉を指名しました。これを運んでくれたお礼にと鮨を御馳走してやろうと思うわけですね。しかしながら、届け先にもっていってもらうにも、住所を書く必要があり、後で名を知らしたと思われるのも妙な心地がするのででたらめな住所を書きつけて、仙吉とともに家へと向かうのです。

そうして秤を運んでもらい、そしてAは仙吉にお礼をしてやろうと寿司屋まで行くのです。Aは先に店へと入り、勘定を済ませ、あとは十分食べなさいと仙吉に言い残し、逃げるように店を出ました。

仙吉はそこで三人前の鮨をたらふく食うわけです。お店の人にまだ食わないかと問われると、急に恥ずかしくなりもう結構ですと店を出ます。店の人は言います。勘定はまだまだもらっているので、好きな時に食いに来なさいと。

一方のAは逃げるような心地で、Bの家へと用事で向かっていた。Aは変に淋しい気がしました。自分がしたかったことをし、小僧も満足だろう。なのに、変に人知れず悪いことをした後のような心地にとらわれていたのです。これは偽善であって、もう一人の自分が批判しているような気さえする。しかし、まあ善事を行ったわけですからこんな心地になる必要はないのに、いやはやどうして。

Aは妻にその話をしますが、なんだかわかるような気がするわ、しかし小僧さんはお喜びになったでしょうと言います。そして、私も食べたい、電話で取り寄せられないのかしら? なんて言うわけですね。

さて、食べ終わった後の小僧です。空車を挽いて歩く彼は、あの人は一体何なんだろうと考えるわけです。きっと、以前あの鮨屋で恥をかいた瞬間のことをきっと見ていたのだろう、と思うのです。いや、それどころではない。番頭さんとの会話に鮨が食いたいと思った自分のことさえ知っていたのではないかと。そうでないと、わざわざあの鮨屋を選ぶはずがないと。

そう思うとどんどん仙吉にはあの男のことが仙人かお稲荷様かと思えてくるのです。

それから数日。Aはついにその鮨屋に行くこともできなくなり、こんなことを気の小さな自分がしなきゃよかったと思っていました。

一方、小僧の方は悲しい時、苦しい時にはその客のことを思うようになり、いつかまた思わぬ恵みをもってあの客が現れるのではないか、と思うようになっていました。

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小僧の神様の解説、感想

昔、それはほんとに昔で小学生か中学生だったと思いますが、小僧の方を主人公だと思って読んでいましたが、その実この小説の主人公は小僧の方ではなくAの方なのですね。

貴族院議員という身分で、誰かに施しをしてやることの難しさ、くすぐったさ、妙なうしろめたさの方にどちらかというとフォーカスして書かれているように感じます。小僧が振り絞った寿司屋の前の勇気と、Aが寿司屋に小僧を連れて行き勘定をした時の勇気は、同じ勇気でありながら性質が違うものですね。この辺りの対比は面白いですね。

なお、この小説の最後には、志賀直哉がここで筆を置く、その理由が書かれています。実は書こうとしたオチは、小僧がAがでたらめに書いた住所をたどっていくとお稲荷にたどりつき、小僧は大層びっくりした、というものでした。それはどうにも小僧に残酷で、ここで小説を書くのをやめます、と書かれているのですね。

こういうオチがつくと、まさしく不思議な話で終わってしまうのですが、そちらではなく、Aを通して描いた、貧しきに対するやさしさというのはどうにも不思議な違和感を覚えるものだというのを描きたかったのではないかと思います。

たまたまこのひとつ前に書いた芥川龍之介の『南京の基督』とちょっと筋立てが似てるというか、人が見る幻を消すことなんてできやしない、というのがまああちらの方は物語の登場人物自身が思うわけですが、こちらは志賀自身が介入して書いたということになりますね。

Aの勇気が思わぬ物語を紡いだということで、筋としても面白いですが、Aがしたことが善行だったのか? 小僧はこれで本当に幸せなのか? でないとすれば、あの時Aが取るべき行動は? などなどどうにも心に何かしこりのようなものが残る作品です。ぜひご一読あれ。

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-志賀直哉

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