
『檸檬』は梶井基次郎が1924年、大正13年10月に書きあげた短編小説で同人誌「青空」誌上にて発表されました。梶井基次郎は20編程度の小説を遺し、31歳という若さで夭折した作家です。ちょっとこう、ゴリラっぽい顔つきの写真でおなじみでしょうが、結核を長らく患い、常に死と倦怠にとらわれつつも、その凄まじい感性で様々な美しい光景、心情、発見を綴った作家です。ちなみに、大阪の出身の人です。
『檸檬』は梶井基次郎が遺した作品でおそらく最も著名な作品でしょう。多くの作家にもこの『檸檬』は絶賛されまくっている日本文学屈指の名作の一つであり、かの三島由紀夫は、この檸檬を日本最高の短編小説であると評していたりもします。さて、ではこの『檸檬』、何がそんなに素晴らしいのでしょうか?
『檸檬』のあらすじ
主人公である”私”の心は、”えたいの知れない不吉な塊”に始終押さえつけられていました。”私”は、どうにもみすぼらしくて美しいものに心ひかれています。汚らしい洗濯ものが干してあったりするような裏通り、土に還ってしまうような土塀、そういうものが好きなのです。廃墟好きですね。なんとなくその気持ちがわかります。欝々とした心を胸に秘め、茫洋と街から街へと浮浪していたわけです。
さて、ある夜のこと。そんな彼が心ひかれたのは、寺町通のまさしくみすぼらしくて美しい果物屋でした。そこに、檸檬が売っていました。”私”は檸檬を買って懐に入れます。すると何だか心が晴れるのですね。たった一果の檸檬を懐に入れているというだけで。
金がなく、普段から避けていた丸善にも悠々入り、画集なんぞをめくりだすのです。しかし、不思議とちっともつまらない。先ほどのまでの幸福感がするすると逃げていってしまうのです。
そこで、”私”はそうだ、檸檬だと思い至るのです。この憂鬱たる画集を重ね、色彩の城をつくりはじめます。そして、その城郭に、檸檬を置いたのです。
さらに”私”は、もうひとつのアイデアをひらめくのです。そうだ、このままにして出ていっちゃおう、と。
“私”は何食わぬ顔をしてその店を出て、あの檸檬が爆弾で、木っ端みじんに丸善の美術棚を爆発させたらどんなに面白いだろうと思うのでした。
『檸檬』の感想
本屋で檸檬を爆弾に見立てて置いていくという、何とも不思議な作品ですね。なんなのでしょう、この妄想の爆弾魔は。
上記あらすじを読んで、なんだその話と思った方もいらっしゃるでしょうが、”私”の心情には、若者特有の陰鬱さ、憂鬱さ、またその対極に位置する晴れやかさ美しさが描かれており、それが今なお多くの読者の心をとらえて放しません。
『檸檬』は、暗く、重いだけの小説ではありません。文章全体にみずみずしい知性がみなぎっており、まさしくこの短編小説そのものが一果の檸檬であるかのごとく感じられます。
一読するとなんということのない小説かもしれません。が、読めば読むほどにあらゆるメタファー、いわゆる純文学めいたものから解き放たれた知性にどうにも感服してしまいます。
『檸檬』の解説
本作『檸檬』を読むには、梶井基次郎が当時どういう状況にあったかを知る必要がありますので、そちらをご紹介していきたいと思います。
作品背景
本作は1924年、大正13年の10月に書かれた作品で、作者梶井基次郎はその時23歳でした。梶井基次郎という人は病気に苦しめられた人で、二十歳くらいの時に肋膜炎に罹って、 さらに軽い肺尖カタル、要は初期の結核になってしまい、後の京都大学にあたる第三高等学校を休学しています。ちなみに、彼は理科甲類でエンジニアを目指したりしていました。
その中で夏目漱石全集を買って猛烈に文学を志すようになり、また同時にひどく退廃的なデカダンス的な方向に落ちていきます。ちなみに退廃的になったきっかけは、ある秋の夜に月を見ようとボートで出て、そのあとつなぎ忘れて流れていくボートを拾おうと水中に飛び込み、寒さに打ち震えて酒を飲みまくり、それで酔っ払った勢いで、俺は童貞を捨てるぞ!と女を買いに行って、「純粋なものがわからなくなった」とか「堕落」とか言い出すようになったそうです。
それで、その後は女は買い、酒は飲み、甘栗屋の鍋に牛肉を投げ込んだり、中華蕎麦屋の屋台をひっくり返し、借金の重なった下宿から逃亡したり、自殺を企てたり、ケンカしたり、警察に捕まったときには犬の鳴きまねをしたり、ビール瓶で殴られたりムチャクチャです。
それで三高を五年かけて卒業した後、1924年に東京大学イギリス文学科に進むため、上京します。というわけで、『檸檬』の話は京都三高時代の話なわけですね。三高時代にいろいろモノは書いておりまして、1922年頃から『瀬山の話』を書き『貧しい生活』を書き、『犬を売る露店』を書き、『雪の日』を書きました。その中で『檸檬の歌』というのを書いており、その中の一部を抜き出し、改稿したのが『檸檬』なのです。
『檸檬』の意味
そういう状況の中において梶井基次郎が書いたレモンとは果たして何なのか。自己の鬱屈した現実、病気に侵された肉体。それを吹き飛ばすような瑞々しき一つのレモン。
現実は彼にとっての一つの美(レモン)と同等である。また、彼が憂鬱であるがゆえにその美は出現した。
この美が、現実と同等、いやそれどころか現実を破壊するようなものであってほしい。退廃的でありながら、美を求め続けた梶井基次郎の姿勢が本作に現れているのではないかと思います。
『檸檬』の評価
本作はすさまじいほどの評価を受けている作品で、その一部をご紹介したいと思います。天才詩人中原中也の友人であり、この人も天才批評家であった小林秀雄の評です。
これは言うまでもなく近代知識人の頽廃、或いは衰弱の表現であるが(尤も今日頽廃或いは衰弱の苦い味をなめた事のない似非知的作家の充満を、私は一層頽廃或いは衰弱的現象であると考えている)、この小説の味わいには何等頽廃衰弱を思わせるものがない。切迫した心情が童話の様な生々とした風味をたたえている。退廃に通有する孤児もない。衰弱の陥り易い虚飾もない。飽くまでも自然であり平常である。読者はこの小説で『檸檬』の発見を語られ、作者が古くからもっていた『檸檬』を感ずる、或いは作者がいつまでも失うまいと思われる古蔵ならない『檸檬』を感ずる。
小林秀雄『梶井基次郎と嘉村磯多』
と、『檸檬』のすばらしさを端的に書かれています。惜しむらくは、この評論は発表より7年後に出たもので、梶井基次郎が亡くなる直前だったのですね。
当時は田山花袋の自然派だの谷崎潤一郎の耽美派だの志賀直哉の私小説だの芥川龍之介の新感覚派だのと様々な文学論がひしめき合っておりましたが、この『檸檬』はそのどれとも違う。比喩でもなく心情の吐露でもなく、ただただ美しき知性が一個の果実に凝縮されているかのようです。
『檸檬』が発表された同人誌「青空」について
ちなみに、『檸檬』という小説は、「青空」という同人誌の創刊号にて発表されました。この同人誌は「新思潮」に対抗し、中谷孝雄や小林馨などの東大の作家志望者中心につくられた同人誌でした。これは猛烈にお金がなく、知り合いの伝手を頼って、岐阜刑務所の作業所で印刷されたものでした。それもあり、この『檸檬』は発表当時全く何の注目もされなかったのでした。
『檸檬』の舞台となった京都 丸善
檸檬が置かれた京都丸善は実在しておりまして、1907(明治40)年に京都・三条通麩屋町にて開設し、その後河原町通蛸薬師へと移設されましたが、2005年にいったん閉鎖しております。その際には、この梶井基次郎『檸檬』のファンがたくさんの檸檬を置いていったそうな。
それから10年、2015年8月21日に河原町の京都BALにて復活します。店舗内には、まさかの檸檬置き場もあるそうですよ。京都に行った折には、ぜひ檸檬を置いていきましょう。
終わりに
『檸檬』は何かのメタファーではありません。真実彼の心をとらえて放さない、みずみずしき一果の果実なのですね。まさしくみすぼらしくも美しい読後感が残ります。ぜひご一読くださいませ。
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