- 作者 宮本輝
- 新潮(1978年8月号 31歳)初出
- 新潮文庫で短編集『幻の光』の表題作として収録
宮本輝が真正面から死生観を描いた作品
『幻の光』は、『泥の河』、『螢川』、『道頓堀川』と川三部作を書きあげた後の最初の作品である。
突然前夫が鉄道自殺し、一人残された妻のゆみ子の情念が描かれている。舞台は奥能登。宮本輝が暮らした富山での記憶が描き上げる、陰鬱な日本海の雪海の光景がすさまじく、どうにもならない死から生を紡ぎあげていくさまは素晴らしい。
ゆみ子の宿命
鉄道自殺した夫、失踪した祖母。ゆみ子の前からいずれも姿を消した二人の大きな存在。宮本輝は、一生抜け出すことのできない業、宿命をゆみ子に与えた。『幻の光』は、いかにして業を越えていくかをテーマに据えた最初の作品だと思う。このテーマは後に『錦繍』へと引き継がれていく。人間にとって、不幸とは、幸福とは何なのかを考えさせてくれる。
『幻の光』には、いくつかのメタファーがちりばめられている。表題でもある幻の光、そして前夫のやぶにらみの目。村上春樹の『螢』(『ノルウェイの森』にもあったと思う)に書かれていた、
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
が表現されていると思う。光があり、影がある。生があり、死がある。分断されてはいない。それらは、不可分なのだ。ゆみ子は死の中に生きている。夫は生の中に死んでいた。日本海の波間に漂う幻の光とは、それを教えてくれる光なのかもしれない。
幻の光の、編集者ってスゴイなっていう話
講演会か何かで話していたと思うが、幻の光はどんどん書き上げることができた作品だったが、一文だけ迷った一節があったという。締め切りに追われていたため、まあいいかと続きを書き、編集者に原稿を送ったところ、
「これは素晴らしい小説です。ですが、一文だけ気になるところがあります」
と言われた箇所がその迷った一節だったという。
その話を聞いた後確認したが、確か今でもその記載は残っていたはずだ。『ふらふらと歩いていった。』の「ふらふらと」をなぜ書いたのかときつく言われたらしい。優れた編集者というのは、やはりスゴイ。
映画化された幻の光
『幻の光』は、1995年、映画化されている。映画も素晴らしいが、原作はもっと素晴らしい……ので、読んでみてほしい。『幻の光』は、言語でなければ届かない領域へと踏み込んでいる。いや、映画も決して悪い映画ではなかったとは思うけれど。
受賞歴
- 第52回ヴェネツィア国際映画祭 金オゼッラ賞
- バンクーバー映画祭 グランプリ
- シカゴ映画祭 グランプリ
- 第10回高崎映画祭 若手監督グランプリ
- 新藤兼人賞金賞
国内外でかなりの評価を得た。
監督 是枝裕和
『幻の光』は、是枝裕和監督のデビュー作である。後に是枝監督は、『誰も知らない』、『そして父になる』などを撮った。
主演 江角マキ子
『幻の光』は江角マキ子の女優デビュー作でもある。確か濡れ場もあった気がする。
[…] 青年は、宮本輝自身の死生観を荒々しく凝縮したような存在である。『幻の光』や『錦繍』で描こうとしたはずの、終わりなき生命を彼は体現している。 […]
[…] 事故にあったのは事実だそうで、まさしくこの主人公はすなわち志賀直哉ですね。彼の生死へのまなざしが描かれています。生と死は両極端にあるものではない。むしろ近しいものではないか、というのを読むと、宮本輝さんの『幻の光』や村上春樹さんの『螢』を思い出しますが、ここに作家の死生観の原点というものがあるように感じられます。 […]
[…] つまりはこれは宮本輝という作家におけるテーマである、宿命の物語であり、『幻の光』と同じものをまあ取り扱っているのですね。 […]