芥川龍之介について

『蜜柑』のあらすじ、感想、分析、主題などなど。

投稿日:2018年8月11日 更新日:

芥川龍之介は、大正八年四月に『蜜柑』という小説を残しました。五月の「新潮」で発表された際は、『私の出遇った事』というタイトルでしたが、後に改題されて『蜜柑』となりました。

横須賀駅からのほんのわずかな時間を描いた小説で、大正五年、六年辺り、当時芥川龍之介は、海軍機関学校で教鞭を執っていました。英語の先生だったそうですね。だから、実際に横須賀駅から横須賀線で通勤していたみたいです。ですから、これは実際にあったことを題材にしているわけですね。本作は小説というよりもエッセイ的な書き物として知られている一作です。涼やかな清涼感の残る一瞬間がギュッと詰まった作品になっています。

では、この『蜜柑』がどういう物語なのか? また芥川龍之介が描きたかったことは何なのか? をまとめてみました。

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芥川龍之介『蜜柑』のあらすじ

ある曇った冬の暮れのことです。主人公は、横須賀発の二等客車の隅に腰を下ろしていました。珍しく乗客は他に誰もおらず、プラットフォームにも誰もおらず、檻に入れられた犬がホームで吠えているきりでした。その寂しげな風景は主人公の心持ちとよく似ていました。彼は、疲労と倦怠感を抱えていました。

同じ二等列車に乗り込んだ、三等切符を持つ田舎の少女

やがて発車の笛が鳴ると、そこへけたたましい下駄の音が聞こえました。十三、四歳の少女が、列車に乗り込んで来たのです。

列車が動き出し、主人公は前に座った少女に目をやります。田舎くさい感じの子で、何やら膝の上に大きな風呂敷を抱えており、その手には三等列車の切符が握られていました。

二等と三等の区別もつかんのかと何かうんざりした気になり、何とか忘れようと新聞に目をやります。しかし、トンネルに差し掛かった列車の中、新聞も何にや平凡でどうにもこれを読むのもうんざりする。しかもこんな田舎娘を前にしている。一切がどうにもくだらぬ思いになり、しばしまどろむことにしました。

不意に窓をあけて闇を見つめる田舎娘

しばらくして、何か気配がし、目を覚ますとその田舎娘が席を移動して、自分の隣の窓際で、窓を必死で開けようとしているのでした。なかなか重たい窓は上がらず、彼女は息を切らして必死で窓を開けようとしていました。トンネルにちょうど差し掛かるところで、なぜこのタイミングで必死で窓を開けようとしているのかがわからずにいました。

ついに、トンネルのところで窓は開きました。途端に煤が車両に入り込み、主人公は激しくせき込みました。少女はそれを意に介する様子もなく、窓から顔を出して、闇の中、汽車の進む先をじっと見ていたのです。

弟たちのために、列車の窓から蜜柑を落とす田舎娘

汽車はトンネルを抜けて、山間の貧しい村の踏切にさしかかりました。その踏切の柵の向こうに、三人の男の子が立って並んでいたのが見えました。汽車がそこを通りかかるとき、男の子たちは声を張り上げて、言葉にならぬ歓声を上げました。その時、娘がその子達に向けて五、六個の蜜柑をばらばらと落としたのです。

どうやら、その男の子たちはきっと彼女の弟で、奉公先に向かおうとしていた姉を見送りに来たところで、姉の方はその子達にその報いとして蜜柑を投げたのでした。

陰鬱なほど貧しき冬の暮れの町に、鮮やかなる蜜柑が落ちるその光景が主人公の心に焼き付きました。少女はまた元の席に戻って、じっと三等切符を握りしめているのでした。

主人公は、その時、ほんの少しだけ、言い知れぬ疲労や倦怠感、空しき人生を忘れられたのでした。

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芥川龍之介『蜜柑』の感想、分析、主題

何でしょう、娘を田舎娘として見る主人公(芥川龍之介)の視線はちょっと嫌味なやつくらいの感じがしますが、よほど彼も疲れ切っていたのでしょうね。そこから、蜜柑という一瞬間の光景によって感情が一気に変わっていく様はなかなか美しいものがあります。

作者の視点が重苦しいほど鮮やかに映る『蜜柑』の美しさ

本作では、芥川龍之介は徹底的に感情と風景を一致させています。薄暗いプラットフォーム、悲しく吠える犬、みすぼらしい少女……。それらすべてが、自分の心情と一致している、というスタンスで書かれています。(だから、まあ、主人公は嫌味じゃないんです。そう見えるのは、自分がそうだからなのですね)何もかもが、どこか重苦しい。

だからこそ、最後に風景が変わったとき、蜜柑という色鮮やかなものがポンと物語に投げ込まれた瞬間に、自分の心情が変わる描写が色鮮やかに映るわけですね。その辺が芥川龍之介の巧みさと言いますか、文豪ならではの手腕ですね。

私はこの時始めて、云ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。

という一文で本作は終わるのですが、あくまでも何かが変わったわけでもなく、わずかに忘れただけという辺りが余韻がありますね。相変らず彼にとっての人生は、疲労と倦怠に包まれており、不可解で下等で退屈であることに変わりない。

だからこそ、汽車で出会った一人の少女の一つの行動が、なにがしか清涼感を与えてくれたことの、神々しさというか尊さというかが際立ちます。そういう、陰鬱な気持ちにこそ輝く美しさみたいなものが『蜜柑』には込められているのですね。

本作は小説というよりもエッセイ的な書き物のような趣もあるので非常に読みやすく、読書感想文にも最適の一作かと思います。こういう、『蜜柑』的な一瞬って、人生において一度はあったりするよね? そういうことを書くと良いよ。

柑橘系文学の素晴らしさを知ろう

『蜜柑』というと、永井龍男さんの『蜜柑』だったり、梶井基次郎の『檸檬』だったり、その爽やかさの象徴として結構出てきます。柑橘系文学は名作が多いので、そちらも読んでみると良いでしょう。

思えばいずれも本作『蜜柑』のように、主人公の重苦しい心持ちを吹き飛ばす鮮やかな美しさが込められていますね。柑橘類文学は素晴らしい。







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  1. […] 主人公は、堀川保吉。『蜜柑』と同様に海軍学校で講師をしていたときの話です。学校の投稿の途中か、その道すがらにある雑貨屋を舞台にしています。そこにマッチを買いに行きました。そこには不愛想な眇めの主人がおり、気の利く丁稚の小僧がおります。 […]

  2. […] 読後感としてはちょっと『蜜柑』のような一作で、さわやかな作品です。ぜひご一読ください。 […]

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