芥川龍之介に、『妙な話』というタイトルの妙な話の小説があります。1921年、大正10年に『現代』という雑誌に発表された作品です。確かになかなか妙な話で、ぞっとするような不気味さもあります。
芥川龍之介『妙な話』のあらすじ
主な登場人物は主人公の私、私の旧友の村上、あとはその村上の妹の千枝子さんです。私と村上は銀座通りをぶらぶらしていたのですが、喫茶店に入ったところで不意に村上は妹の千枝子さんの話をします。千枝子さんは以前は東京に住んでいましたが、今は佐世保に住んでいます。妙の話というのは、その佐世保に行く前の話です。
千枝子さんの旦那さんは地中海の方へと将校として派遣されていましたから、千枝子さんはお兄さんの所に身を寄せて東京で留守していましたが、ひどく神経衰弱状態にありました。というのも、週に一度旦那さんからお手紙が届いていたのですが、届かなくなっていたからです。それでひどく憔悴していたある日、ちょっと友だちのところに行くわ、きっと泊りになるわと出ていったのですが、しばらくするとずぶぬれで帰ってきた。
聞くと、駅の停留所で変な赤帽に会ったと。その人は旦那様はお変わりないですか?と不意に話しかけてきたというのです。それで、手紙が来ないから寂しいんですと答えると、じゃあちょっと様子を見てきましょうと言います。しかし、夫は地中海にいますから、会えるはずもありません。そうこうしているうちに、赤帽は姿を消し、しかもいくら思い出そうとしてもさっき見たはずの赤帽の顔が思い出せない。それから千枝子さんはちょっと変になってしまい、どうして貴方、帰ってこないのとうなされたりするような日々が続きました。それで、主人公の彼が朝鮮に行くという時にも千枝子さんは姿を見せなかったのです。
それからしばらくして、旦那さんの同僚がアメリカから帰って来るという日に千枝子さんはそれを迎えに行くと、また赤帽に出会いました。今度はどこからともなく、「右の腕にお怪我をなさっているそうです。それで手紙が書けないのです」と聞こえました。振り返ってももういない。また、車に乗り込もうとしたときには「来月にはお帰りになりますよ」と声がする。見ると、赤帽がにやりとこちらを見て笑っている。しかしふと我に返るともうそこにはいない。
それから、実際に旦那さんが戻ってくるとき、三度妙な話が起こります。何と地中海マルセイユで旦那さんが赤帽に会ったというのです。そいつにけがをして手紙を書けなくなってしまったこととか世間話をしたというのです。したと途端にまたその赤帽はどこかに行ってしまいました。その顔がやはりついぞ思い出せない。思い出せないのだが、今自分の荷物を運んだ赤帽、そいつが確かにあの時の赤帽だというのです。しかし、たった今見た赤帽こそがその人間だということはわかるのだが、その顔が何一つ思い出せない……。
村上はそんな話をして喫茶店をあとにしました。主人公の私は長い溜息をつきました。かつて、千枝子さんと二度ばかり密会しようとしたけれど遂に彼女は現れず、自分は貞淑な妻でありたいという簡単な手紙が届けられた理由がついにわかったからです。……というのがオチです。
芥川龍之介『妙な話』の考察
ということで、ちょっとゾッとするような、妙な話の上に怖い話のオチがついている作品なのですね。晩年の『歯車』のような不気味さがちょっとありますが、芥川龍之介が自殺する六年も前のことで、本作と同じような時期に『杜子春』とかを発表してますから、ドッペルゲンガーとかの類ではちょっとなさそうですね。
さて、この千枝子さん夫妻が見た赤帽が実際にいたものだったのか? それとも貞淑であろうとする自分らが見せた幻覚だったのか? あるいは、もしかして、村上という兄のつくり話なのか? 日本、そして地中海で現れた赤帽は何かの比喩なのか? いろんな読み方ができますね。
おそらく元ネタとなる芥川龍之介に起きた実話
実は本作には元ネタとなる事件がありまして、この二年前、1919年、大正8年頃に芥川龍之介は秀しげ子という歌人の方と不倫関係にあったとされています。実際に二度逢瀬があったようで、後に秀しげ子氏が生んだ子供が芥川龍之介に似ているとかどうとか言われて、かなり芥川自身参っていたようです。
芥川自身は、こんな妙な赤帽が存在してさえくれれば、自分はこんなに悩まされなかったのに……と思って書いた作品かもしれませんね。彼自身は、愛を具現化するような神たる存在を希求していたのかも。
それがこのような、ちょっと怖い話に着地した辺りが文豪の技、ですね。マニアックな作品ですが、ぜひご一読くださいませ。
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