太宰治

『人間失格』のあらすじと感想、あと名言とかとか。

投稿日:2016年2月22日 更新日:

『人間失格』は太宰治が書いた、超有名どころの純文学です。読んだことはないとしても、おそらくこの『人間失格』というタイトルを知らない人の方が少ないのではないでしょうか。1948年、雑誌「展望」にて三回の連載として発表されたもので、『人間失格』は太宰治が遺した最後の完結作です。

『人間失格』は、太宰治の遺書?

『人間失格』の最後の掲載が載る前に、太宰治は山崎富栄さんという女性と玉川上水にて入水自殺し、亡くなっています。ちなみに太宰治が亡くなった年齢は38歳です。

この『人間失格』は大庭葉蔵という男の手記という体裁を取った、太宰治の私小説的作品です。実話をベースにして書かれたもので、また太宰が自殺する直前に完結した作品であるため、『人間失格』は太宰治の遺書的な作品として広く扱われています。

さて、『人間失格』は、はしがき、第一の手記、第二の手記、第三の手記、そしてあとがきから成る作品です。その流れにおいて、主人公大庭葉蔵の一生が紐解かれていきます。読書に慣れてる方なら、三時間くらいで読めるんじゃないでしょうか。では、その内容にちょっと触れてみましょう。

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『人間失格』のあらすじ

恥の多い生涯を送ってきました。

これが、第一の手記の書き出しです。日本文学でもトップクラスに有名な書き出しではないでしょうか。恥の多い生涯を送ってきた大庭葉蔵という男の独白体で本作は綴られていきます。

主人公 大庭葉蔵という少年の性格

さて、この主人公の大庭葉蔵、どんな人かというと、出身は東北の田舎町の人です。彼には、停車場のブリッジが何のためにあるのか、地下鉄があるのか、人はなぜ飯を食うのかがわからない。隣人が何を考えているのかが、とんとわからないのでした。

とにかく、子供時分から、世の中の当たり前のこと、人間の一般的な幸福というもの、普通の人が当たり前に受け入れられることが良くわからない、という人なのでした。

幸福がわからないから、他人の要望に応えるという生き方

周囲の人は自分と全く違う観点で生きていて、それはそれは恐ろしい。しかし、自分の方がどうも当たり前ではないらしい。となると、当たり前がわからないし、すべてを切り捨てて一人で生きていくこともできない。彼は、”自分の、人間に対する最後の求愛”として、仕方ない、周りの人に合わせるしかありません。

そうして彼は道化を演じることを編み出すのですね。要するに、人気者を演じていくわけです。他人の求めるものには敏感だった彼は、目ざとくこうすれば喜ぶだろうというの見い出し、常に答えていくのです。

たとえは、わざと鉄棒に失敗して笑いを取ったりとか、ふざけてレギンスを手につけたりとか、まあいかにも子供らしいかわいさを武器に、自分自身幸福は実感できないけれど、他人の顔色を窺い、それを喜ばせることはできる、人気者へとなって行くわけです。何というか、裏のある人気者になるわけですね。

偽りの道化を竹一に見破られる

そんな他人の動向に目ざとい葉蔵的に、クラスで最も気にしなくてもよかろう、というタイプであった竹一という”白痴に似た生徒”がいたのですが、彼は、葉蔵がおどけて鉄棒から派手に転んで笑いを取ろうとしたところに、「ワザ。ワザ」とささやきました。「人気者になろうと、まあわざわざ、御苦労なことですねえ」ということですね。

こいつに道化の正体を暴かれるのではと恐れた葉蔵はどうしたかというと、竹一と積極的にコンタクトするようになり、友達になろうとします。いっそ取り込んでしまおうという魂胆ですね。そして、必死のかいあり、上手くいくわけです。

で、仲良くなった竹一は、葉蔵に二つの予言めいた言葉を残しました。ひとつは、お前は女に惚れられるよということ。もうひとつは、偉い絵描きになる、というものでした。その予言を得て、大きくなった葉蔵は実際に父の別荘のある東京へ出ていくことになったのでした。

東京へ出て画家を目指す

親に内緒で画塾に通い、東京でデッサンの練習をする中で、堀木という男と出会います。堀木もまた、ある種道化を演じているような男で、延々と芸術論を語り、彼に東京のカフェ(今で言うところのキャバクラらしい)やら共産主義者やらとつながっている男です。まあ、彼の場合は、葉蔵と違って、都会者ぶってるという感じですね。

葉蔵は彼と付き合ってると道化のことを考えなくてすむようになるし、どうにも楽だということで行動を共にするようになります。カフェやら共産主義者の集まりにもどんどん出入りするようになります。

父が田舎へ帰るのを機に、金に苦しむことに

ところが、父が田舎へ帰ることになりました。そうしますと、葉蔵の生活は一変します。これまで父親の庇護のもと、金に困ったことのなかった葉蔵が、どんどんお金に苦しむようになります。

常に田舎へ金の無心をするようになり、道化めいた共産主義の活動にも嫌気がさしていくのです。道化なんてやってる場合ではなくなっていくと。

はじめての自殺未遂

それで、カフェで出会ったツネ子という女中と入水自殺を図ることになってしまいますが、自分だけが助かってしまいます。(これは太宰の実話を元にしており、実際に太宰とともに入水自殺した田部シメ子が亡くなっています。もちろん、太宰は生き残りました)自殺ほう助の罪に問われた葉蔵は、起訴猶予となりました。

転がり落ちていく葉蔵

転がり落ちていく彼は、その後、さらに出会ったシングルマザーのシヅ子の元へと転がりこみます。画家志望であった葉蔵は、しばらく漫画家として活動をしますが、やがて父のない二人の家族の幸せを壊してしまうのを恐れ、ここから逃げ出してしまいます。

結婚し、幸福を掴む

それから葉蔵は、ヨシ子という人を疑うことを知らぬ女と結婚することになります。人を疑わぬ彼女の純真さに休息を覚え、確かに彼はつかの間の幸福を手にします。

しかし、あまりに純真すぎるヨシ子は家に出入りしていた商人に騙されて犯されてしまいます。悲観した葉蔵は、睡眠薬をたらふくのみ、自殺未遂をしてしまいます。

二度目の自殺未遂

女のいないところに行きたい、彼の口から、ついそんな言葉が出てしまいます。やがて、葉蔵はモルヒネ中毒となります。そして、ついに精神病棟へ入れられてしまいます。女のいないところ、という彼の願いが叶ってしまいます。

その後、父が亡くなり、長男の手によって精神病棟から出て、老婆の女中がいる廃屋のような家で廃人のような暮らしをします。

人間、失格。

葉蔵は自身を人間失格であると評し、これまでの生涯でただひとつ見出せた真理は、”ただ、一さいは過ぎて行く”ということだけでした。

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『人間失格』の感想

この『人間失格』という物語は、固い言い方をすれば、自己形成というものを描いていると思います。

『人間失格』自己形成の物語

自己とは、自己の欲求と他者からの要望から成ります。自分がしたいことと、他人(世間)が自分に求めていることのすり合わせの果てに、自分というものが定着していきます。(これを定着させようとむにゃむにゃやる時期が、思春期、中二病、ですね)

葉蔵は、このすり合わせが徹底的に上手くいかなかった例です。自己の欲求は果てしなく乏しく、その分他者からの要求には敏感です。自己という存在が希薄なままに、他者の要望ばかりが気になる。

他者からの要望に応えるのが嫌になってしまうと、自己の定着、生への執着がないものですから、とたんに簡単に死へと向かってしまう。

ちなみに、あんまりさらっと書かれているので見落としてもおかしくないのですが、葉蔵は幼少期に下男、女中から性的虐待を受けています。『人間失格』は、こうした背景を持つ者のゆがんだ人格形成を描いているとも読めるでしょう。

父親の存在と葉蔵の欲求

冒頭で別にほしくもないシシマイを父親が自分に与えたがっていることに気付いた葉蔵が、シシマイが欲しいと父の手帳にこっそり書くくだりがあるのですが、それ以降、父親自身が登場すること自体はほぼないのですが、この父という存在は、葉蔵に大きな影を落としています。

上記の自己の欲求というのはそもそも両親によってもたらされるものでしょうが、それを両親は一切もたらしてはくれませんでした。父が亡くなった時、葉蔵は下記のように述懐しています。

父が死んだ事を知ってから、自分はいよいよけたようになりました。父が、もういない、自分の胸中から一刻も離れなかったあの懐しくおそろしい存在が、もういない、自分の苦悩の壺がからっぽになったような気がしました。自分の苦悩の壺がやけに重かったのも、あの父のせいだったのではなかろうかとさえ思われました。まるで、張合いが抜けました。苦悩する能力をさえ失いました。

ここに、父親の大きな影響が見てとれますね。シシマイを、住む場所を、金を、よりよい教育を与えてもらった葉蔵ですが、本当に父に与えてほしかったものがあったのでしょうね……。それは、愛? かな……。

罪と罰

葉蔵は幼少の頃より、罰されることのないよう、罪を犯さず暮らしてきたように感じられます。が、葉蔵をはじめ、『人間失格』の中では、罪なき者が罰を受け続けています。

葉蔵は、罪と罰について次のように述べています。

罪と罰。ドストイエフスキイ。ちらとそれが、頭脳の片隅をかすめて通り、はっと思いました。もしも、あのドスト氏が、罪と罰をシノニムと考えず、アントニムとして置き並べたものとしたら? 罪と罰、絶対に相通ぜざるもの、氷炭相容れざるもの。罪と罰をアントとして考えたドストの青みどろ、腐った池、乱麻の奥底の、……ああ、わかりかけた、いや、まだ、……

これは、堀木と葉蔵が考え出した対義語当てごっこの一節です。なんて陰気なインテリの遊びでしょう…。

シノニムが同義語、アントニムが対義語を意味します。罪あるところに罰がある、罰があれば、罪がある。しかし、罪と罰は近しいところにあるのではなく、まったく相容れざるものではないかというひらめきを得るわけです。

堀木はここで、罪のアントは法律であるというのですが、これに葉蔵は強く反発します。

社会通念として、彼は罪や罰をとらえてはいません。人間の存在に関わるものとして罪や罰をとらえています。

しかしながら、その直後、ヨシ子の姦通事件が起こってしまうわけです。葉蔵は、それをこのように述べています。

無垢の信頼心は、罪の原泉なりや。

自分が愛し、信じてきたものこそが罪の源泉であると葉蔵は考えてしまうわけです。わずかに自分に光をもたらしてくれたものが、罰を受ける。彼の人生にとって、やはり罪と罰はアントニムではなかった。シノニムなのです。罰を受ける存在は、すなわち罪なる存在であると葉蔵は追い詰められていきます。

(それは世間が、ゆるさない)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

そして、その罰を与えるのは、神なるものでも世間でもなく、個々人でした。葉蔵は、人間としてつま弾きに合わされ、幸福を掴み取ることはついぞできなくなっていくのです。

誰かに、理解されるということ

物語は、以下の一文で終わります。

「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」

見事、本性を隠しおおせたまま、葉蔵は読者の前から消えていきます。エゴのない葉蔵という存在は、神のような存在であったかもしれません。ただ……誰かひとりでも、彼が求めるものを正しく理解し、与えてやれば、すべては一変しただろうという悔いが、読後ずっと残りますね……。

が、ここで思い出すべきは、はしがきです。葉蔵の写真を、”私”はこのように評しています。

いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来たひとなら、ひとめ見てすぐ、
「なんて、いやな子供だ」

る不快そうにき、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。

なんと彼の偽りは、”美醜に就いての訓練を経て来た人なら、ひとめ見てすぐに見破られるものだったのですね。その偽りが、見破られなかったのは何故なのか。いや本当は、はじめから誰もが見破っていたのでは。

誰か一人が、彼を”理解”していることを伝えてあげられれば、その運命は大きく変わったでしょう。『人間失格』は、孤独な男の悲惨な運命の物語でもあります。

遺作としての『人間失格』

なお、『人間失格』は、遺書的な立ち位置とされていますが、冒頭書きました通り、最後の完結作であります。太宰治は同時期に『グッド・バイ』という作品を書いており、(なお、こちらは未完)こっちは結構コメディチックな作品です。こっちはホントに死の直前まで書いていて、どちらかというと、こちらの方が遺作です。

よほどうがった見方をしない限りは、はしがきとあとがきの”私”こそが太宰治その人であると考えられますが、この存在は、この物語は太宰はこれがすべて自身の心情ではないということを証明しようとしているのではないか。

芥川龍之介の『或阿呆の一生』や『歯車』に見られる逼迫感はどうにもここには感じられず、あくまで創作物としての域を超えてはいないように感じました。そこまで深刻に本作『人間失格』を扱わなくてもいいんじゃないかなぁと個人的には思います。

『人間失格』の名言

『人間失格』には太宰治の有名な名言がいくつかあります。やはり一つは『人間失格』の冒頭の一文、

恥の多い生涯を送ってきました。

これぞ太宰治!!という一文ですね。ネガティブさと世の中への恨みつらみ、自分への卑下爆発です。

他にも、

無垢の信頼心は、罪の原泉なりや。

もいいですね。

私が一番好きなのは、

(それは世間が、ゆるさない)(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)

ですね。個人からの叱責を、それは世間を隠れ蓑にした言い回しでは?と葉蔵は突いているんですが、実際はやっぱり世間が許さないんですね。世間というものの中に、葉蔵(太宰治)自身がいなくって、世間と言われたときに、世間というものを上手く知覚できないというか。世間からつまはじきにされてるわけですね。何かそういう太宰治の孤独性を感じる一文です。

正しい使い方かどうかわかりませんが、怒られたときは、そっとこの文章を思い出すと、何だか気分が楽にはなります。精神的に追い詰められ過ぎなくなるというか。世間に怒られてると言われると、逃げ場がなくなりますからね……。普通の人は。

という意味でも、そっとこの一文をつぶやくたびに、太宰治という精神の悲しさ、虚しさを感じます。

映画化された『人間失格』

2019年には太宰の生誕110周年を記念し、蜷川実花さんが監督で小栗旬さんが主演、登場する三人の女性を沢尻エリカさん、二階堂ふみさん、宮沢りえさんという超豪華布陣により、『人間失格 太宰治と3人の女たち』として映像化もされた、今なお人の心に突き刺さる作品ですね。

『人間失格』は、Amazon Kindle Unlimitedで読めます

本作『人間失格』は、初月無料、月額980円の電子書籍読み放題サービスAmazon Kindle Unlimitedで読めます。おそらく日本で一番知られている小説のひとつである本作をぜひご一読くださいませ。







-太宰治

執筆者:


  1. […] のですね。この書き出しは有名ですね。『人間失格』もそうでしたが、太宰は書き出しが上手い。 […]

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