梶井基次郎について

梶井基次郎『路上』のあらすじ、感想。

投稿日:2019年12月28日 更新日:

梶井基次郎に『路上』という短編小説があります。1925年、大正14年の9月に書かれたもので、『青空』にて発表された作品だそうです。

坂道を下るときに足を滑らせてコケかけるだけの話なんですが、これを文学的境地まで持って行く辺りが梶井基次郎らしい作品です。

梶井基次郎『路上』のあらすじ

自分がその道を見つけたのは卯の花の咲く時分であった。

梶井基次郎『路上』

という書き出しで本作は始まります。5月中旬から6月のことです。卯の花というのは卯月に咲く花ですから、卯の花なんですね。卯月はもちろん4月のことで、旧暦の4月は今の5月あたりになります。

それでどんな道を見つけたかというと、いつも使っているMの停留所ではなくEの停留所からの帰り道を主人公は見つけたのです。こっちから帰ってもあんまり家まで変わらないぞ、ということを発見したのですね。しかも友人の家に行くのにMからだとめちゃくちゃ遠回りだったけれどEからだととても便利だったのです。

そんな道を友人と歩いている最中、さらに近道の崖のようになっている近道を見つけました。あまり見たことない道を歩きながら、花や葉の匂いを嗅いでいると、旅情を感じるような気がして気に入り、その道を好んで歩くようになりました。

それでとある雨上がりの日、学校帰りにその道を歩いていると、崖の道はぬかるんでいて、これはちょっと転ぶかもしれない、と思うと、途端に足を滑らせ、片手を泥についてしまいました。さらに、起き上がろうとするとズルズル崖の踊り場的なところまで滑っていきます。

坂から滑り落ちぬようにと、一人滑稽なことをしていたが、誰にも見られてなかっただろうかと高台から眼下の人家に目をやりましたが、誰もいない。

それで続きの坂は今度はスキーみたいにして滑ってやろうかと躊躇なく泥に一歩を踏み出します。その坂の先は、崖の終わりで、そこから落ちたら大けがですからそうなったら、上手く飛び降りなければなりません。それでも何も恐れず考えず踏み出しました。

幸い、崖の鼻先で自然と止まりました。まるで何者かに止められたかのように。

再び周りを見回しても、やはり誰もいませんでした。この自分の行動を見ていた人は誰もおりませんでした。そうなると、飛び降りようとした自分の心構えも悲しいものに思え、また寂しくも思える。

また、魅せられたように坂を下った自分が恐ろしくなる。破滅とはこういうものかと思えてくる。

主人公は、帰路、このことを小説に書こうと深く思うのでした。

梶井基次郎『路上』の感想

冒頭に記載しました通り、コケかけるだけの話なのですが、ここに破滅に向かう人間の心境が描き出されています。梶井基次郎らしい一作ですね。

転がり落ちるような破滅へと向かう人間の心境

魅せられたように滑って来た自分が恐ろしかった。――破滅というものの一つの姿を見たような気がした。

梶井基次郎『路上』

この一文に本作のすべてが詰まっているように思えます。誰も見ていないのに、誰のためでもないのに、何の役にも立たないのに、確かにこのような危険だとわかっていながらも、何も躊躇することなく危うい道に足を踏み出すような経験というのは案外誰しもあるでしょう。あとで振り返ってみれば、なんで自分はあんな愚かなことをしたんだろう? というようなことですね。

また、思えば、この危うい坂道は、元々、とっても便利な近道であり、これは使えるよなあと思ってその道を使っていたのですが、徐々に彼の中で日常(途中旅情を感じたりもしていますね)から外れたものとなり、破滅に連なっていくというこの流れもまた、破滅というのは実に身近にあり、一見到底破滅には思えない姿で現れるものなのかもしれませんね。

経験を書かなければならないという宿命

本作の末尾は、

帰って鞄を開けて見たら、何処から入ったのか、入りそうにも思えない泥の固まりが一つ入っていて、本を汚していた。

梶井基次郎『路上』

という一文で終わるのですが、こけたところも、コケかけたところも、誰にも見られず、そのあと洋服の泥をサササと払っておそらくは坂を下りたあたりからは先ほどまで破滅に向かっていた人とは思えぬほど平然と歩いていたのでしょうが、誰にも知られることのない鞄の中にはまだその泥が残っていた。

このような経験をした際に、滑ったこと、そしてこの自己を語ることを書かないではいられないと思った、それどころか、自己に強烈に経験として刻み込まれたものが、やはり表向きには他者にはわからず、書かなければならないのだという暗示のようなものが、この入りそうもない鞄の大量の泥に込められているように思います。

それはとても寂しいことであったかもしれません。梶井基次郎は、こういう姿をもしかすると、誰にも見られない運命にあったのかもしれなくて、彼は小説家として生きていくしかなかったのではないでしょうか。

そういう、破滅的な美しさが込められた一作かと思います。梶井基次郎代表作の『檸檬』と合わせて一度ご一読くださいませ。







-梶井基次郎について

執筆者:


  1. […] 梶井基次郎『路上』より […]

関連記事

檸檬

梶井基次郎、おすすめ作品ランキング

梶井基次郎という人は 1901年、明治34年生まれで、亡くなったのは1932年、昭和7年。わずか31歳で亡くなった、いわゆる夭折の天才作家です。 若いころから肺病にかかって、常に病が付きまとうような状 …

Kの昇天

『Kの昇天』梶井基次郎 月光に彩られた美しき短編小説

『Kの昇天』は梶井基次郎が著した短編小説です。とても短い作品です。1926年、大正14年に「青空」誌上にて発表されました。副題も含めると、『Kの昇天――或はKの溺死』というタイトルの作品です。 梶井基 …

Kの昇天 梶井基次郎

『泥濘』のあらすじ、感想、解説とかとか。

『泥濘』は、1925年6月に発表された梶井基次郎の小説です。お金もなく、上手く小説も書けない不安な心持が描かれています。『泥濘』の読み方は”でいねい”、ですね。ぬかるみ、という意味です。 『泥濘』のあ …

桜の樹の下には

『桜の樹の下には』のあらすじ、解説、感想とかとか。

『桜の樹の下には』という小説のあらすじや解説、感想を交えてご紹介いたします。作者は梶井基次郎です。そう、『檸檬』とか『城のある町にて』で有名な梶井基次郎さんです。1928年、昭和3年に『詩と評論』誌上 …

Kの昇天 梶井基次郎

梶井基次郎『檸檬』のあらすじ、解説、感想などなど。

『檸檬』は梶井基次郎が1924年、大正13年10月に書きあげた短編小説で同人誌「青空」誌上にて発表されました。梶井基次郎は20編程度の小説を遺し、31歳という若さで夭折した作家です。ちょっとこう、ゴリ …