『桜の樹の下には』という小説のあらすじや解説、感想を交えてご紹介いたします。作者は梶井基次郎です。そう、『檸檬』とか『城のある町にて』で有名な梶井基次郎さんです。1928年、昭和3年に『詩と評論』誌上に発表されました。
「俺」が「お前」に話しかける話法的な構成になっている、とてもとても短い小説?詩?でして、散文詩ととも捉えられるような、あっという間に読み切れる作品です。原稿用紙四、五枚とかじゃないでしょうか。
『檸檬』同様、梶井基次郎のみずみずしき感性が見られる文章です。
さあ、『桜の樹の下には』何があるのでしょうか。冒頭、いきなり『桜の樹の下には』何があるかを説明してくれます。
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
衝撃的な一文ですが、この言い回しはなんとなくどこかで聞いた方もいらっしゃるでしょう。桜の樹の下には死体が埋まっているというのは、いろんな作品のネタになっていますね。桜からは確かによく死体が出てきがちですが、初出は梶井基次郎のこの『桜の樹の下には』なのですね。
ちなみに坂口安吾の『桜の森の満開の下』も、少なからずこの『桜の樹の下には』に影響を受けて書かれたのではないかと思います。
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『桜の樹の下には』のあらすじ
詩のような作品なので、ストーリーというのはなかなか難しいのですが、ともあれ、さて、桜の樹の下には屍体があるわけです。そう、だからあんなに美しいのだ、とこう来るわけです。この物語は、ここ数日何であんなに桜の花が美しいのかどうにも不安だったのが、ああ、桜の樹の下には屍体があるからなんだな、すっきりした、となる過程が書かれております。ちょっと意味がわからないかと思いますが、そういう物語なのです。
消えない剃刀の刃のイメージと、目撃した大量のウスバカゲロウの死体
ややこしいので順序立てて説明しますと、しばらく前から毎晩帰り道に家の剃刀の刃のイメージがどうにも消えない。あんなちっぽけな薄っぺらいものがくっきり頭に浮かんでくる。なんでだろう? と「俺」は思っておりました。
で、二、三日前に渓谷へ来まして、水たまりの水を覗き込んだところ、石油が流れたような光彩を見つけました。それはよくよく見ると、ウスバカゲロウの大量の死体だったのです。(ちなみにウスバカゲロウはアリジゴクの成虫)
残酷な惨劇が妙に美しく見えてくる
水たまりに浮かぶ、大量の死体が美しく見える。どうにもこの惨劇を見つめて、妙な喜びを感じてしまうことに「俺」は驚くのです。
そうしてそれから桜を見る。あの美しさはなんだ。回る独楽が静止しているかのような。素晴らしい音楽が幻影を連れてくるような。灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものは。
それからどうにも不安になる。あの桜の美しさの正体は何なのだろう。
桜の樹の下には、死体がきっと埋まっているのだ!
そうして、ひらめくのです。そうか、あの桜の樹の下には屍体が埋まっているのだ、と。その死体からしたたる水晶のような液を吸い、桜はあんなに美しく咲いているのだ。そうして、心の不安は不安として安定した。憂鬱さが確かな形となって、完成する。
ああ、これなら、桜の樹の下で酒盛りをしている村人たちと同じように「俺」も酒盛りができるのかもしれない……。という作品です。
『桜の樹の下には』の解説、感想
生の裏に死がある。死の裏に生がある。それらが一体化することで、安定し、美しさを発揮する。そうした視点に目覚める瞬間に関する”告白”を「お前」にする男の物語なのですが、以前紹介しました『檸檬』と打って変わって、かなり文学的な表現で掛かれている作品ではないかと思います。
桜は本作において、このように描かれています。
馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐爛して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を聚めて、その液体を吸っている。
この辺り、どうもアリジゴクのようなイメージで書かれているように思えませんか。
またその成虫であるウスバカゲロウ。ここからから薄刃の剃刀という連想もきちんと選んで梶井基次郎は書いています。
生から死、死から生への文学的到達
つまり、薄刃の剃刀はウスバカゲロウであり、ウスバカゲロウの元はアリジゴクであり、アリジゴクは桜である。薄刃の剃刀への連想は、桜の美しさとつながっているのです。と思う。死から生への文学的飛躍、そして着地を原稿用紙数枚でしっかり書き述べた、というのがこの作品のすごいところではないかと感じます。
この辺りが『檸檬』との大きな違いではあると思いますが、それでもやはり『檸檬』の作者だなと思わせるのは、やはり一文目の、
桜の樹の下には屍体が埋まっている!
ですね。こればっかりは、梶井基次郎の感性が突然鋭くとらえた閃きであり、やはりその感性は脱帽ものなのです。何でしょうね、この世界の真理を手づかみで捉えた感じは。死や絶望がある人にこそ見える美、みたいなものを梶井基次郎は掴んでいるわけですね。
桜の樹の下には死体が埋まっていると言われれば、なんとなくそんな気がしてきませんか。未だにそういう都市伝説的なものも、そういう設定の物語もたくさんありますし。桜の恐ろしい感じを何とも的確に表現していますね。
「俺」と「お前」は誰なのか。
さて、最後にもうひとつ。この物語は「俺」から「お前」への言葉として書かれております。この「お前」とは誰なのか。作中回答らしい回答はないものの、きっとおそらくはどちらも梶井基次郎本人なのではないか、と思うのです。
心の中のもう一人の自分を一生懸命説得しているような、どこかそんな自身の痛切な叫びのようなものを感じるのです。……まあ、この辺は読む人によってとらえ方変わりそうな気がします。友かもしれませんし、恋人かもしれませんし……。
本作『桜の樹の下で』は、青空文庫やAmazon Kindle Unlimitedで読むことができますよ。ぜひご一読くださいませ。
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