村上春樹

高い塔と深い井戸、あるいはノモンハンを遠く離れて

投稿日:2016年2月29日 更新日:

ねじまき鳥クロニクル 第1部 泥棒かささぎ編

ここまでは奇数の章で今の話を、偶数の章で過去の話を綴っている。奇数の章で物語を一気に広げ、偶数の章で物語を定着させようとしている感じがある。

高い塔と深い井戸、あるいはノモンハンを遠く離れて

加納マルタの怪しさを、本田さんの過去の話で定着させようとしている。本田さんは、クミコの実家の両親が、結婚する際に判断を下してもらった、<神がかり的な人>の一人。綿谷家は、こういう宗教チックな人を良しとする家らしい。村上春樹において、後の『アンダーグラウンド』や『1Q84』の土壌がすでにここであったようだ。ちなみに、NHKもこの章で出てくる。NHK好きやな、村上春樹。

水の流れ

本田さんは、亨を評して、”お宅の娘さんが結婚するのなら、これほど素晴らしい相手はまたといない、娘さんがこの人と結婚したいと言うなら絶対に反対してはいけない、そうすることは非常に悪い結果をもたらすことになる”と述べている。

また、法律は向いていないと言う。地上界の事象を司るものではなく、その上かその下の世界に亨は属しているのだそうだ。

どちらがいいどちらが悪いという種類のものではない。流れに逆らうことなく、上に行くべきは上に行き、下に行くべきは下に行く。上に行くべきときには、いちばん高い塔をみつけてそのてっぺんに登ればよろしい。したに行くべきときには、いちばん深い井戸をみつけてその底に下りればよろしい。流れのないときには、じっとしておればよろしい。流れにさからえばすべては涸れる。すべてが涸れればこの世は闇だ。<我は彼、彼は我なり、春の宵>。我を捨てるときに、我はある。

彼のことばの通り、のちに亨はいちばん深い井戸へと降りていくのだが、ここで流れというワードが出てきている。

前章であった通り、今住んでいる場所は、流れが変わったのだ。これから、亨は上に行くべきか下に行くべきか、流れのままに進まなければならないのだ。

ノモンハン事件

ノモンハン事件は、もちろん実在の事件である。1939年5月~9月にかけてフルンボイル平原のノモンハン周辺で発生した、日ソの国境紛争である。

実在の事件というのはこれまでの村上春樹作品で出てきたことはあまりないのだが、後年に行くにしたがい、実在の事件を小説の世界に組み込むようになった。『1Q84』は間違いなくオウム真理教をベースにした物語だ。

個人とは何なのか。夫婦にとって大切なワタヤ・ノボルを失い、クリーニング店に預けたままの水玉のネクタイも失われつつある。個人の周りに存在するものを一つずつ失っていったとしても、個人たりえるのは、過去・歴史によって個人は裏付けられているからではないか、というのを描こうとしているのではないか。

 







-村上春樹

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