森鴎外

『高瀬舟』のあらすじ、感想、作者、解説とかとか。

投稿日:2016年2月9日 更新日:

『高瀬舟』の作者は森鴎外ですね。いわずと知れた、夏目漱石と並ぶ文豪の代表作です。彼が54才の時、1916年1月に『中央公論』紙上で発表した作品です。

国語の教科書にもよく載っている作品で、読書感想文とかでもよくつかわれる作品かもしれませんね。その内容もまあわかりやすく、安楽死という深いテーマを考えさせる作品となっております。

森鴎外の、わりと晩年の作品となります。今だと青空文庫でも読めますし、AmazonのKindleストアなんかでも無料で読めますね。気軽にサクッと読める名作文学作品です。

高瀬舟の内容を要約した簡単なあらすじ

高瀬舟とは、島流しにされる罪人を乗せ、角倉了以が掘った京都と大阪を流れる高瀬川を下り上りする舟のことです。

いきなり話が逸れますが、高瀬舟は河川を渡る高い背の舟を言うものでもあります。これは全国に昭和前半あたりまで存在しておりまして、割と一般的なものだったようで、今は高瀬舟羊羹という和菓子のモチーフになっていたり、五木ひろしさんの歌になっていたりもします。

それはさておき、ここでいう高瀬舟とは、あくまでも高瀬川を渡る罪人を送る舟を意味しています。

さて、この高瀬舟におきまして、同心(昔々の警官的な人)が大阪へと罪人を運ぶわけです。その京都大阪間でだけ、罪人ともうひとり、親類でただ一人だけ同乗することが許されており、そこで今生の別れをします。

登場人物は喜助と庄兵衞の二人

本作『高瀬舟』で綴られるのは、喜助という三十歳の罪人の話です。彼の罪は、弟殺しでした。彼には親類はおらず、ただ一人舟に乗り込みました。なお、一緒に乗った同心は羽田庄兵衞という男です。本作は、喜助と庄兵衞の二人のやり取りで成り立っています。

罪人喜助の穏やかな表情の理由

喜助の様子は妙で、罪人とは思えぬ晴れやかな表情をしていました。同心はただ勤めを果たすべく罪人と話をすることは通例ないのですが、庄兵衞はついにこらえ切れなくなり、聞いてしまいます。「喜助。お前何を思つてゐるのか。」と。

貧しさからの脱却

喜助は言います。自分は定住して暮したことがなかった。京の町で苦労ばかりしてきた。島がどれほど辛いところであろうと、今よりはましだろう。罪人には手当として二百文(今でいう5千円程度)が与えられるのだが、これまでこの二百文という金を手にしたこともなかった……。

骨身を削り働き、賃金は借りた金を返し、また別の金を借りる。ほんのわずかの蓄えもなかった自分が、捕まってからというもの、住むところはある、食事さえお上が用意してくれる。この二百文を島での仕事の元手にしようと思うと、楽しみでしょうがない、というわけです。

喜助の様子が妙だと感じていた庄兵衞も、その話を聞くと自分も同じようなものだ、と思い至るわけです。

二百文を手にしたことがあっても、その額の差だけで自分もまた骨身を削り働き、得た賃金はほぼ尽きてしまう。

誰しも同じだ。金がなければ、金が欲しい。食がなければ、食がほしい。仕事がなければ、仕事がほしい。この喜助と自分とは、額の差だけで、本質は何ひとつ変わることはないのかもしれない……。

弟を殺した、その胸中と真実

だがしかし、彼は弟を殺し、この舟に乗っているのです。それでも晴れやかな表情なのは、お互い日々の銭に困る身であるとは言え、自分とは大きな差があると庄兵衞は考え、それを喜助に問うと、彼は次のように答えます。

幼い頃に両親を亡くし、自分は弟と常に一緒に暮らしてきた。その弟が、去年の秋に病に倒れた。弟は、ひとり仕事へ出る兄に、いつも申し訳ないと言っていた。弟の病は癒えることなく、ある日家に戻ると、血まみれの弟が布団に伏せっていた。兄を早く楽にさせようと、自分で喉を剃刀で掻き切ったのです。

弟はまだ息絶えておらず、死に切れぬ猛烈な苦しさに、兄に剃刀を抜き楽にしてくれと願いました。最初はためらった喜助も、やがては覚悟を決め、弟の喉元に刺さる剃刀を引き抜いてしまいます。その瞬間を近所の老婆に見られ、奉行所へと連れられて行くことになったのです。

苦から弟を救おうとした喜助は果たして、人殺しなのだろうか……。結論を出せぬ庄兵衞はお上の判断に従おうと言い聞かせたが、彼の胸の内からわだかまりが消えることはありませんでした。そうして、高瀬舟は静かに大阪へと下っていきます。

森鴎外自身による高瀬舟解説

実は、『高瀬舟』には『高瀬舟縁起』という森鴎外自身による解説書的なものが存在しています。

そもそも『高瀬舟』は『翁草』という本に元ネタがあって、それを小説にしたということ。また『高瀬舟』には二つの命題が含まれている、と鴎外は書いています。

森鴎外が示した『高瀬舟』二つの主題

人は、誰しも貧しい。

ひとつは足りて生きる者などいるのか、という財産の捉え方についてです。桁が違うだけで、人は誰しも日々の生活に苦労し、いつだって満ち足りることはないのではないか、ということを考えてほしいと。

安楽死は罪なのか。

もうひとつは、医師でもあった森鴎外らしい命題ですが、安楽死は罪であるか否かという、安楽死についてのこと。

いずれも既成概念を揺さぶり、ひとつの価値を考えるきっかけになりますね。読書感想文書く人は、まあこの辺りをとっかかりにしてご自身のお考えを書かれてみてはどうでしょうかね。

なんにせよ、答えを出せぬまま黒い水面をすべり消えていく森鴎外からの問い掛けは、それはそれは美しい名文で書かれております。ぜひご一読いただきたい一作です。

しかしながらの高瀬舟解説

さて、本作『高瀬舟』を久々に読み返したのですが、ラストシーンで川を滑っていく高瀬舟が下っていく場面が強く印象に残る場面でしたが、それはともかく、最も印象に残ったのは、いかなる理由があろうとも弟を殺した人間がこれほど晴れやかで、今まで手にしたことのなかった五千円にテンション上がりました、島での生活頑張ります、というのはどうにも薄気味悪く感じられたことでした。考えてみれば、妙に不思議な小説です。

捕まりたいという欲求は現代にも通じる

刑務所の方が現実よりマシだというのは、現代社会でも度々聞かれる話であるし、案外この『高瀬舟』のようなことは今そこいら中で起こっているのではあるまいかと妙に不安に襲われます。

安楽死をテーマにしつつも森鴎外が本当に書きたかったものがあるのでは

さて、安楽死は罪ではないという考え方自体は確かにあるでしょうが、「安楽死は罪ではない」ということと「安楽死させた者は罪の意識を感じない」ということとは決してイコールではないのではないかと思います。何か怪しい。裏がある……。

また、森鴎外自身が読めばわかる程度のテーマをわざわざ『高瀬舟縁起』として発表しているのも妙で、何か裏があるのかなと思い、『高瀬舟』の元ネタである『翁草』の『流人の話』を確認してみると、話の筋は驚くほどそのままであり、二百文という数字まで同じでした。森鴎外が元ネタに加えたオリジナリティ性は、唯一庄兵衞の視点であると言っても過言ではありません。

とするならば、やはり『流人の話』を読んだ鴎外の心情が庄兵衞によって代弁させられているのだろうと思います。そう捉えたうえで読むと、仕組みとしてはしっくりきました。

(話は脱線しますが、『流浪の話』を読んだ後『高瀬舟』を読むと、随筆というか日記というか、ありのままの文章に心情という視点を盛り込むとまったく小説になるのだなと妙に感心しました)

描きたかったのは、対華21ヶ条要求への批判?

そんな『高瀬舟』には、調べてみるとやはりいろんな読み方があるようで、Wikipediaを引用すると、

鴎外は同時に自作解説「高瀬舟縁起」を発表しており、これによって長らくテーマは「知足」か「安楽死」か、それとも両方かで揉めてきた。同様の混乱は「山椒大夫」と自作解説「歴史其儘と歴史離れ」との間にも生じていた。しかし、「山椒大夫」には工場法批判が潜められているという指摘から、鴎外の自作解説は検閲への目眩ましであろうとの見解も生まれた。すなわち「妻を好い身代の商人の家から向かへた」という設定は「十露盤(ソロバン)の桁」を変えれば日英同盟の寓喩であり、「知足」のテーマは対華21ヶ条要求への批判として浮上してくる。こうして「高瀬舟」は今、歴史に借景した明治の現代小説としての再評価へと向かいつつある。

との記述がありましたが、もし本当にそのような意見文めいたものだとしても、ここから対華21ヶ条要求への批判を読み取れる人がどれだけいるのだろうか。めくらまし過ぎて誰も気づかないでしょうが……。なんにせよ、『山椒大夫』の方も改めて読んでみたいですね。

推理小説としても読み解かれた『高瀬舟』

もう一つ面白かった解釈は、『高瀬舟』の真相という論文。作者の思想から全く離れて、ひたすら精緻に整合性を持ちながら読み解くと、やはり喜助が弟を殺そうとした犯罪者であることが浮かび上がって来ます。この解釈はとても腑には落ちます。ひねくれすぎてるけど、好き。

いずれにせよ、『高瀬舟』は胸に残る名作ですので、ぜひ読んでみるとよろしいかと。







-森鴎外

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  1. […] 『山椒大夫』は、森鴎外の小説ですね。『高瀬舟』なんかもそうでしたが、本作も昔から存在したお話をベースに作り上げた作品でして、今回は中世に存在した『さんせう太夫』というお話を下敷きにしています。このお話は浄瑠璃になったり、子ども向けのお話として『安寿と厨子王』になったりと有名な話と言っていいでしょう。 […]

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